貞観の息吹き 
高見 徹

30.  能満寺 聖観音立像神奈川県川崎市高津区千年) 

 能満寺は、天台宗の寺院で、かつては白鳳時代の創建になる名刹影向寺の塔頭十二坊の一つであったが、天文年間(1532〜54)に快賢上人によって現在地に移されたと伝える。
 石段を登り山門をくぐると広い境内に本堂や不動堂、鐘楼などが立ち並んでいる。 
 本尊・虚空蔵菩薩立像は、像高95.6cm、寄木造、玉眼の像で、後頭部内面の墨書銘により、室町時代の明徳元年(1390)に仏師朝祐によって造られたことがわかる。
 朝祐は、鎌倉・覚園寺の薬師三尊像や十二神将像、伽藍神倚像などを造ったことで知られる鎌倉の仏師で、本像はその初期の遺品である。
 頭髪を高く結い上げ、面部を面長に造り、衣の襞を装飾的に表現するなど宋風彫刻の影響が顕著である。
  本堂の向かって左脇奥の厨子内に安置される聖観音立像は、像高101.3cm、一木造、玉眼の像で、肉身部は近世の補修により黒漆仕上げとなっているが、 本来は漆箔仕上げであったと考えられ、背面に金箔が認められるという。また、衣の部分には漆地に彩色が施されていたが、現在はほとんど剥落し、膝前の一部 にわずかに認められる程度である。
 頭頂から足先までを右手は手首まで、左手は上膊部まで含めて一材から彫出され、内刳を施さない。
 本像は背面に朱漆で記された銘文により、もとは能満寺末寺の岩川村(現・高津区千年新町)長命寺観音堂の本尊であり、江戸時代の延宝2年(1674)に修理されたことがわかる。

 現在は髻の前面を含み両耳前を通線で前後に割矧ぎ、内刳を施して玉眼が嵌入されているが、この造作は江戸の修理の際に改造されたものとされる。
 体部は量感を持ち、天衣や条帛の衣文も深く丁寧である。特に下半身の裳の表現は大振りの裳が足首まで懸かり、先端を捲り上げ、両脇に拡げるなど、貞観彫刻の特徴が認められる。
 また、右足を遊足とし、腰をわずかに左へ捻り、右足を少し踏み出して右膝を大きく張り出しているために幅広で安定感を与えている。
 しかしながら、面相は全体のバランスからみてもやや小振りで表情も穏やかであり、これは江戸時代の修理の際に面相を彫り直したためと考えられる。
 本像は上記のように、九世紀の貞観彫刻の特徴を有しているが、体部の肉付けや衣文の彫りにやや鋭さを失っており、また太造りの下半身が全体のバランスを欠いていることから、10世紀に入ってからの制作になるものと考えられる。
  元の安置場所である長命寺は現在廃寺となっているが、『新編武蔵風土記稿』によれば、天台宗の寺院であったといい、天平13年(741)に創建され、天安 2年(858)慈覚大師が再興したと伝える影向寺とも密接な関係にあったと考えられる。影向寺は橘樹(たちばな)郡の郡寺として公的な性格をもつ寺院で あったことも併せると、当地に本像のような像が伝わったのも不思議ではない。

  




 


inserted by FC2 system