貞観の息吹き 
高見 徹

44.  妙楽寺 毘沙門天立像(千葉県長生郡睦沢町妙楽寺)


 妙楽寺は、嘉祥年代(850年頃)に天台宗を広めた慈覚大師が創建したと伝え、修験霊場として東国仏教文化の拠点となった古刹である。山内に日吉神社があることからも比叡山との強い関連が想像される。

 妙楽寺周辺の森林はクスノキ等が混成するスダジイの林で、多くのシダ類も見られ、また、さまざまな鳥類や昆虫類も生息し、特にヒメハルゼミ棲息地として知られており、「妙楽寺ふるさとの森」として千葉県の天然記念物に指定されている。

 本堂内の須弥壇上に、本尊大日如来坐像を始め、多くの文化財を有している。
 本尊大日如来坐像は、カヤ材の一木造で像高2.78cmと、関東地方では珍しい丈六像である。
 伏し目の彫眼や円満な面相、浅く流麗な衣文などに藤原盛期の中央様式を伝えている。しかし、大振りな目鼻立ちや量感のある上半身は、穏やかさよりは力強さが見られ、当地での制作であることを物語っている。

 本尊の両脇には毘沙門天・不動明王立像を従える。
  毘沙門天像は、全身にかなり不規則で荒い丸鑿の痕を残す、いわゆる鉈彫(なたぼり)像である。しかし、一般的な鉈彫像が細部を省略するケースが多いのに対し、本像 は甲冑や腹前の獅噛、腰甲の裾の意匠などを丁寧に彫出している。それ以外の部分は、荒く不規則な丸のみの痕を大胆に残している。
 構造は頭体部の幹部をカヤの一木から造り、背面に内刳を施し、背板を当てる。彩色を施さない素木像で、髪や眉、目、髭は墨書、唇には朱の彩色が施されている。体部に比べてやや大きめの頭部は厳しい面相を持ち、ほぼ直立する姿は古様である。

 関東には、同じ千葉県の蓮蔵院聖観音立像や、東光院薬師如来立像など、細かい鑿痕を装飾的に用いた鉈彫像が残されているが、本像はそれらに先行する像であると考えられる。

  もう一体の脇待である不動明王像は、頭体部の幹部をカヤの一木から彫り出し、背面から内刳を施すのは、毘沙門天像と同じであるが、頭部を大きく造り出した 童子形の表情や表面を平らに仕上げるところは、毘沙門天像と趣を異にしている。背板の内側に経典が墨書されているが、残念ながら像立年代を示すものは残さ れていない。

 本寺にはもう一体やや時代の下る毘沙門天立像も残されているが、現在は睦沢町歴史民族資料館に寄託中である。


 


 妙楽寺周辺はヒメハルゼミ棲息地として知られているが、ヒメハルゼミは、新 潟県・茨城県以西の本州・四国・九州・屋久島・奄美大島・徳之島に分布する固有種である。

 明治35、6年にこの森で初めて発見・採取され、学名の種名にも「千 葉の」という意味のラテン語「chibensis」が付けられている。
 成虫にかえるのは他のセミより一足早く、6月下旬から8月上旬頃までで、集団で「合唱」をする習性をもち、1匹が鳴き始めると周囲のセミが次々と同調、やがて生息域全体から鳴き声が聞こえ、「森の木々が鳴いている」とも表現される蝉時雨に見舞われるという。






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