貞観の息吹き 
高見 徹

45.  曼荼羅寺 聖観音立像香川県善通寺市吉原町


  善通寺は、弘法大師空海の誕生の地として知られており、門前にはいつもお参りの人で賑わいを見せている。善通寺の北東に位置する我拝師山(がはいしざん) は、幼年時代の空海が修業した場所で、中国からの帰朝後、中国五台山になぞらえて名付けられたとされる五岳(香色山・筆の山・我拝師山・中山・火上山)の うちの一つで、中国の密教の師・恵果阿闍梨を偲んで命名したとされる。

  曼荼羅寺は、我拝師山北麓に位置する寺で、弘法大師の先祖である佐伯家の氏寺として推古4年(596)創建され、世坂寺と称していたものを、弘法大師が帰 朝後、亡き母の菩薩を弔うために大同2年に唐の青龍寺を模して堂塔を建立し、大日如来を刻んで本尊とし、唐から持ち帰った金剛界と胎蔵界の両界曼荼羅を安 置して寺号を我拝師山曼荼羅寺と改めたと伝える。当時は善通寺にも劣らぬ程の伽藍を有していたという。
 その後衰退し、特に永禄元年(1558)の兵火にかかって堂宇を焼失してから益々荒廃したが、文禄年中(1592)生駒家の旧臣三野氏が諸堂を再建し、その後貞享9年(1692)に沙門宥盛が本堂を再興した。

  本堂から右手にある観音堂に安置される聖観音像は、頭頂部から蓮肉までヒノキの一木から彫り出された、内刳のない一木造の像である。ほぼ直立した像で、や や童子形に近く、やや笑みを浮べたような穏やかで面相や、やや塊量的な造形は古様を示している。長い間、風雨に晒された期間があるらしく、表面はかなり磨 滅して素地を表しているものの、膝前には翻波式衣文の名残を残すなど当初の彫り口はよく残されている。

 善通寺にも、一木造の吉祥天像と地蔵菩薩立像が残されているが、これらの像が中央風の像であるのに対し、本像はやや地方作ながら、より古様を示しており、平安時代中期の制作と考えられる。
 讃岐地方は、距離的に近いばかりでなく、歴史的にも中央との関連が深い土地である。
  中央の直模または中央からもたらされたと考えられる、正花寺聖観音立像や願興寺聖観音坐像などが伝えられている他、金刀比羅宮・聖観音立像、堂床区・十一 面観音立像など多くの平安時代初期に遡る像が多く残されており、この地方には中央の流れを汲む仏師集団がいたものと考えられる。


 


 境内には、弘法大師お手植えと伝える樹齢1200年の「不老松」が あり、高さ約4m、枝は直径約18mの円形に広がり、菅笠を伏せたような形をしていたことから「笠松」ともいわれ、古くから神仏が降臨する「依り代」とも 考えられ、県の天然記念物にも指定されて親しまれていたが、2001年に、松食い虫の被害で枯れてしまった。





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