貞観の息吹き 
高見 徹

18. 教恩寺(合場区) 薬師如来坐像(奈良県天理市合場町) 


 教恩寺は、石上神社の末社、愛宕神社(三十八神社−みそはちじんじゃ)の神宮寺として建立された寺で、現在は廃寺となっており、愛宕神社の一角に観音堂が残るだけである。
 この廃教恩寺の本尊・薬師如来坐像は、公民館としても使用されている観音堂に安置されており、合場区で管理されている。

  合場町に隣接する西井戸堂町の妙観寺観音堂には、天平時代の塑像の心木の残欠が伝わるが、藤原道長の日記『御堂関白記』に吉野の金峯山への参詣の途中、妙 観寺井戸堂(観音堂)に参籠祈願し一泊したという記録があるように、当地は、京都と吉野の主要街道である中ツ道である橘街道と丹波市街道の交差点に位置 し、古来より交通の要所であった。
 本像も、市内の丹波市町迎乗寺から移されたと伝えられている。


  本像は、頭体の主要部をケヤキの一材から彫出する一木造で、後頭部と背面から内刳を施している。一般的にケヤキは木目が粗く仏像の用材としてはそぐわない ため、用材として優れたヒノキを産出しない東北地方を除いて用いられる例は少ない。神宮寺に伝わったということからすれば、あるいは霊木信仰との関連があ るのかも知れない。

 肩幅も広く厚い胸は量感豊かで、衣文は丁寧で飜波式の名残を留めている、特に両肩にかかる衣文は堅いケヤキを用いて いるにも拘わらず鋭い彫法を見せる。膝張りも広く、膝高も厚みを持つが、膝前の衣の処理は類例を見ないようなやや複雑な表現が見られる。右膝に懸かる大衣 の端を左足先部で一旦折返して膝部で広げ、その端部を足裏を覆って膝前に垂らしている。しかしながら、この特徴ある衣の処理も煩雑にならず、手慣れた表現 で見事に纏められている。
 面相部は、鼻先が後補となっている他、一部彫り直しが行われているとも考えられる。
 狭い額や深めの頭髪部も古様であるが、切付の螺髪は小粒で面相も穏やかであることから、10世紀に入ってからの制作と考えられる。

  
薬師如来坐像



 


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