貞観の息吹き 
高見 徹

45.  小又井観音堂 十一面観音立像千葉県いすみ市小又井195


 いすみ市は旧夷隅郡に所属しており、古くは古事記に「伊自牟(いじむ)」、日本書紀に「伊甚(いじみ)」として登場する地名であり、日本書紀には朝廷の直轄地として「伊甚屯倉(いじむのみやけ)」が置かれたとの記述が存在する。
 鎌倉時代初期には鎌倉幕府の御家人で上総国の守護職であった和田義盛が居館「伊保館」を構え、土塁や空堀の一部が今も残されている。
 鎌倉時代末期から室町時代にかけて、この地域は鎌倉府の直轄領となり、犬懸上杉氏の家臣(二階堂・畠山・狩野など)が夷隅地方に土着して在地領主へするなど、中央との繋がりが深い場所であった。

 小又井観音堂は、小又井地区の奥の小高い岡の上にあった常楽寺の旧境内に残された観音堂の通称である。常楽寺は、平安時代の建立と伝えられるが詳細は不明である。
  現在はその麓に、いすみ市の清掃場クリーンセンターが出来たため、その敷地を横切って行かねばならない。クリーンセンターの通用門を入ると、奥まったとこ ろに裏山に続く長い石段があり、登り口に案内板が立っている。石段を上り切ったところに本堂と鐘を失った鐘楼が残されており、本堂の前にコンクリート造り の収蔵庫が建てられている。

 本堂の内陣には不動明王立像(平安時代後期−市文)をはじめ、近隣の廃寺から集めたと思われる数体の破損仏や仏手などが無造作に置かれている。

 収蔵庫に安置される十一面観音立像は、両手を胸前で合掌する穏やかな面相をもつ像である。
 頭体幹部は木心を右寄りに籠めた一材から両足先、足ほぞに至るまで彫出し、上背から裾に至るまで背刳を施し、背板を当てている。
 一木造の体駆には厚みがあり、面相も福よかであるが、目鼻立ちは小さく、衣文も足先には太い襞を表すものの、彫りの鋭さは陰を潜めており、折り返しの裳や腰衣の襞も細かく、やや浅く刻まれている。

  十一面観音像では合掌する例が無いことや、本堂の中に破損仏とともに多くの仏手が残されていることから、本来は千手観音立像であったともいわれているが、 本像の肩口や背面には多臂像であった痕跡は無く、両腕も肘から先が異常に太いことから、本来二臂の十一面観音像であったものを後世、肘から先を合掌する姿 に変えたものと思われる。
 上半身は後世の淡い彩色が施こされており、破状の無い優美な像に見えるが、よく見ると一時期相当傷んだらしく、後世の 鎹(カスガイ)や釘などの錆が滲んで彩色の一部が浮いているのがわかる。元の木材にも虫食いや朽損があり、表面の塗膜だけで形を保っているような箇所も見 られる。
 しかしながら、全体的には非常にバランスよく、量感豊かな体躯や、腰から下のやや寸詰まりな造り出す表現はこの地方の平安時代彫刻の中でも特に古様で、後補の手が入っているものの、元の像が優れた造形を持っていたことを示している。


 

  






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