貞観の息吹き 
高見 徹

15. 広智寺 観音立像(大阪府高槻市) 


 広智寺は、高槻市の中心に程近い街中にある。
 大宰府に次いで、全国2番目の天満宮という古い由緒を伝える上宮天満宮が建つ丘の一角に、聖徳太子開創の慈願寺や、霊松寺とともに建ち並ぶ。
本寺も聖徳太子開創とつたえる古刹で、明治時代まで隣接する上宮天満宮の新宮寺として地続きであったといい、眼下には高山右近の歴史エリアを初め、爽快な街並みが広がる。
 
キリシタン大名高山友照・右近親子が高槻城城主となった戦国時代には、戦乱による兵火にも遭い灰塵に帰した。
 現在は急な階段を上り切ったところに、コンクリート造りの本堂を持つだけであるが、本尊観音立像のほか天満宮に関連する多くの寺宝を有している。

  本尊は、カヤ材の一木で造られたほぼ等身大の像で、六臂の十一面観音立像として祀られていたが、近年修理を行った際、元は八臂の観音像であり、頭上の十一 面も後補であることがわかった。平成5年に多臂観音立像として、大阪府指定有形文化財に指定されている。 
 寺では、現在不空羂索観音と称しているが、額に持つはずの第三の眼や、肩から掛けられた鹿皮が見られないことから、尊名は不詳である。

 本像は戦乱の際、地元の人々が地中に埋めて隠したとも言い伝えられており、修理前は、かなり傷んでいたようで、大幅な修理が行われている。
  しかしながら、古様な宝髪や量感ある胸部や盛り上がった両腿のボリューム、膝前の明確な衣文や胸前に表された旋転文などの表現などに、天平時代の意識を残 した貞観時代の気運を色濃く残している。また、瞳の部分に黒曜石等を嵌め込んだと考えられる彫り込みがあり、壇像を意識した像であることがわかる。

 広智寺は上宮天満宮の神宮寺であったことや、本寺の西に位置する慈願寺の付近から国宝「石川年足墓誌」が見つかるなど、当地は古くから大和や中国の仏教文化の影響下にあった場所である。
 本像の由来は明確ではないが、高槻市内には同じく黄檗宗の寺である慶瑞寺にも、小像ながら中国の壇像の影響を受けたと考えられる平安前期の菩薩坐像が残されている。

 また、大阪と京都間に範囲を広げれば、中国大陸の文化の影響下に造られたと考えられる檀像様の像として、中山寺・菩薩立像、宝菩提院・菩薩坐像、勝尾寺・薬師三尊像などの優作も多く残されており、本像もその一例と見ることができる。

 
広智寺・観音立像        (修理前)

 



 


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