貞観の息吹き 
高見 徹

51.  普賢寺 普賢菩薩坐像三重県多気郡多気町


 現在の三重県多気町は、かつては佐奈(佐那)と称し、古事記に記された手力男神(たぢからお)を祭神とする佐那神社が今も残り、伊勢の国で最も古い歴史をもった地域である。
 付近には、藤原不比等創建と伝えられる金剛座寺や、豪族飯高氏が建立したという近長谷寺があり、この地が早くから開け、高度の文化をもち、政治経済的にも極めて重要な場所であったことがうかがえる。

 金剛座寺の南方500mに位置する普賢寺は、金剛座寺の末寺で、開創は白鳳時代と伝えている。
 本寺には非常に古様な普賢菩薩坐像が本尊として伝えられている。

 本来普賢菩薩像は、釈迦如来像の脇侍として、文殊菩薩像と共に釈迦三尊形式をとることが多く、正面を向いて立つ白象の背に蓮台に乗った姿に表されるのが通例である。
 しかし本像は、横たわってうずくまる白像の上に乗るものの、白像を含む台座は近年の後補であり、当初は単独の坐像として造られたものかも知れない。

  頭体部はクワの一材から彫り出されており、背面と底部から大きく内刳が施されている。宝髻の前面に表される宝冠や垂髪、臂釧、腕釧なども全て共木から彫出 されている。特に大振りの宝冠や耳の後ろから両肩に垂れる垂髪、両肩に懸かる衣文の表現は作者の力量を十分に発揮して見事である。
 面相は、小さく纏められた目鼻立ちや唇などもやや摩滅してはいるが意志的で力強い。
 また、がっしりとした肩や量感ある胸から絞り込んだ胴部までの造形は、この像の力強さを表している。
 高く肉付きのよい膝や両足を覆う衣文の彫りは大胆で深く、平安初期の特色を十二分に備えており、肘を大きく張り、量感にあふれた体躯はどっしりとした安定感を示している。

 坐法は両足を互いの太腿の上に組む結跏趺坐ではなく、左足を前方に離して坐る、いわゆる半跏趺坐像である。半跏像の場合、延命地蔵像など離した足を台座の下に垂下する、いわゆる半跏像踏下像が多いが、本像のように台座の上に離した足を置く例は珍しい。

 本像は、後補とはいえ台座の形式や、宝冠、坐法など特異な表現などから、中国からもたらされた密教図像から写したものとも言われるが、塊量的で量感豊かな表現は、平安初期彫刻の系譜に連なる造形のように思われる。


 

 






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