貞観の息吹き 
高見 徹

16. 円 興寺 聖 観音 観音立像(岐阜県大垣市青 墓町) 

 最澄が東国教化の際この地で奇端を得、赤栴檀の霊木をもって彫刻した聖観音立像を本尊として、 延暦九年(790)に創建したと伝える。かつては現在青少年憩いの森になっているあたりにあったが、江戸時代に現在地に移されたといわれる。
  円興寺のある青墓は、平治の乱(1159)で平家に破れた源義朝が長男悪源太義平、次男朝長、三男頼朝と共に東国に逃れる途中に身を置いた場所として知ら れ、傷が深かった朝長が平家の手にかかるよりはと、この地で自刃して果て、遺体は円興寺境内に葬られたといわれている。
 境内には、 父義朝、兄義平と共に菩堤を弔う五輪塔があり、本堂には朝長をはじめ源氏一族の位牌も残されている。
 天正2年(1574)には、織 田信長によっては焼き討ちにあうが、不思議に本尊だけは谷間の石の上に難を避けたところから石上観音と呼ばれている。

  本尊聖観音立像は、本堂内の厨子の中に祀られていたが、現在は本堂裏手のコンクリート造りの収蔵庫の中に安置されている。
 やや幅広 で目鼻立ちの大振りな厳しい顔つきを持ち、胸の厚い量感のある体躯は古様を示している。やや低い宝髻ながら、左右に渦巻き状に纏めた宝髻の表現は、天平時 代に見られる形式を踏襲しており、膝前に二条にかかる天衣や丁寧な飜波式衣文や茶杓形衣文に見られる鎬立った衣文の彫りには張りつめた緊張感がみなぎって いる。
 特に足首の両脇に広げた裳裾は大振りで丁寧な衣文をやや斜め後ろに広げる、他に例を見ないような形式を持ち、像全体に安定感 を与えている。
 像全体のバランスも破綻はなく的確で、地方仏に見られるような平面的な表現はなく、正に貞観仏の様式を伝えており、 中央の手慣れた仏師の作であることを感じさせる。
 顔や、胸などに細かい傷があるものの、右手先、左肘先、両足先などが後補である他 は、保存状態は極めて良い。

 青墓は、かつては東山道の宿駅として賑った町であり、古くから美濃と越前を結ぶ要 衝の地として、白山を中心として美濃飛騨と文化圏を同一にしていた。
平保元年中には源義平が下呂市萩原町の久津八幡宮に鶴岡八幡宮を勧請するなど、当地 の経済文化の中心となっていた山窩(さんか)集の長であった穴馬朝日家を介して源氏との関係も深かった。源為義や義朝、義平と朝日家の娘との恋愛物語も史 実かどうかは兎も角、この地に本像のような中央風の仏像をもたらすような大きな勢力を持った集団がいたものと考えられる。



  




 

 


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