貞観の息吹き 
高見 徹

7. 永照院 十一面観音立像(滋賀県湖南市三雲) 

 永照院は、天平年間(729〜48)年、行基の開基とも良弁の開基とも伝え、もと真言宗三雲山慧日寺と称したが、織田信長の兵火などで焼失、その後数度にわたる興亡の末、天文年間(1532〜55)に永照院として再建されたという。

 本寺に伝わる十一面観音立像は、修験道で知られる飯道山を中心に栄えた飯道寺五十八坊の勢力下にあった際に観音堂に安置されていた像と伝えられている。

 像高110cmの内刳を施さないカヤ材の一木からなる像で、表面は護摩などの煙で全身が黒く覆われているが、もとは唇や眼に彩色を施しただけの素木像であったと思われる。

 やや幅広の面相は意志的で、つり上がった眉や幅広い小鼻の造り出し、唇の稜線も鋭く明瞭である。

 体部は面相に比してやや小振りであるが、肩から胸、腰にかけての肉付きは豊かで、右足を遊足とした下半身とのバランスもよく、非常に整った像である。特に裳裾の先端をやや翻して足首迄覆う表現は、安定感を与えている。

 頭上に付けられた頭頂面と手先、腕から外に垂れる天衣は後補であろうが、本像の緊張感を損なうことなく、丁寧に彫られている。

 また、条帛や天衣の衣文線はやや浅く単調であるが、膝下の衣文は丁寧で翻波式を表すなど、森厳な面相と相まって平安初期彫像の意識が感じられる。

 近江には、渡岸寺・十一面観音像に代表される、天台密教の新図像に基づくと考えられる彫像が多く知られているが、甲賀地方には大岡寺・薬師如来坐像、金剛定寺・十一面観音立像、集町 観音堂・十一面観音立像、普門寺・十一面観音立像(昭和61年焼失)など、それらの系譜とはやや異なる古様な尊像が多く残されている。

 当地には長寿寺や、常楽寺、正福寺、少菩提寺など東大寺初代別当である良弁僧正開基を伝える寺が多く、良弁ゆかりの地として知られる湖南の修験道の聖地、金勝山(栗東市)との繋がりが指摘されており、かつては天平文化が直接的に伝えられたと想定される。また、修験道当山派(真言系)の近江の先達寺院であった飯道寺の勢力範囲であったことから、伊吹修験道の影響が及んだ湖北地域や天台修験の葛川息障明王院の影響を受けた湖西地域に比較して、古代文化圏の歴史を背景に発達した独自の文化を築き上げてきたものと考えられる。

その意味でも、当地に伝わる尊像の今後の系統的な調査が期待される。

 



 

 


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