貞観の息吹き 高見 徹
64.
大安寺 大日如来坐像(福井県福井市田ノ谷町)
大安寺は、万治元年(1658)に福井4代藩主松平光通が建立した寺で、もとこの地にあった竜王山田谷寺の跡地に建立された。
福井市から北西数kmに位置し、禅寺に相応しい深山幽谷のお寺である。
田谷寺は、伝承によれば、奈良時代に「越の大徳」と言われ、山岳修行僧だった泰澄によって創建されたという。往時は坊舎が48坊もあり、門前に市までなしていたが、天正2年(1574年)に織田信長の越前侵攻に伴い、全山が焼失したという。
その後、江戸時代になって、福井4代藩主松平光通が万治元年(1658)に大愚宗築を招いて越前松平家の永代菩提所として臨済宗妙心寺派の寺院として建立し、萬松山(ばんしょうざん)大安寺と号した。
広大な敷地に、東南隅に唐破風造玄関を付属する本堂(重文・入母屋造桟瓦葺)や庫裏、開山宗築を祀る開山堂、松平光通を祀る開基堂、鐘楼など(全て重
文)が立ち並びぶ。ほぼ全ての建造物が第二次世界大戦や福井地震の影響を受けることなく創建当時のまま残存し、5棟が2008年に国の重要文化財に指定さ
れた。
冬の積雪対策だろうが、永平寺などと同様、全ての建物が廊下で繋がっている。
本堂裏手の山中に整然とした藩主の墓所が営まれている。地元笏谷石を全面に敷き詰め「千畳敷」の名で知られる観光名所となっている藩主の菩提所として江
戸前期から中期にかけての藩主の初代・秀康公、3代・忠昌公夫妻、4代光通公夫妻まで他、5代、8〜11代も含めた計10基の藩主夫妻の墓塔が建ち並ぶ。
真新しい法堂の中央に文殊菩薩坐像(県文)、本堂脇室に大日如来坐像が安置されている。
共に、大安寺の創建年代よりも古い平安時代の像であり、かつて田谷寺に安置されていた像であると考えられる。
文殊菩薩坐像は、宝髻を結い、天冠台をいただき、左手は屈臂し、右手に宝剣を執り、結跏趺坐する像で、桧材と考えられる木材の寄木造で、彫眼、内刳が施されている。
肩幅や胸・腹周りの厚みもあり、全体的に均整の取れた像である。
大日如来坐像は等身を超える大きな像であるが、当初はバラバラの相当痛んだ状態で発見されたらしく、背面材が失われており、何とかパーツを組み合わせたという状態だ。
しかし、頭体部は上膊まで含めて一木から彫られており、定印を結ぶ両手も肘から先を一材で彫られている。
面相はやや平面的ながらしっかりと下瞼を極端に彫り凹め、目を段差だけで表現している。
短い天冠台に高い筒型の天冠を被るのはこの時代にはによく見られる形である。
腕釧や条帛などやや彫りは浅いが丁寧な彫口を見せている。
像の奥行きもあり、古様な像である。制作は、文殊菩薩坐像よりも古い思われる。