貞観の息吹き 
高見 徹

20.  安住院 聖観音立像岡山県岡山市) 


  安住院は、奈良・子嶋寺を開いた報国大師(快賢上人)が天平勝宝元年(749)に備前三十八ヶ寺の一つとして開いたという禅光寺の本坊に当たる。禅光寺自 体は廃寺となっているが、かつては、瓶井(みかい)山一帯を境内としていたといい、今もややはなれた場所に「瓶井の赤門」と通称される仁王門や多宝塔が残 されている。元の本堂があったと伝える場所には古観音堂という小堂が建つ。
 多宝塔は、江戸時代に藩主池田綱政が後楽園の借景になるようにと、禅光寺の境内に建立したもので、寛延4年(1751)の完成した。山の中腹に建つ優美な姿が国道2号線からも遠望出来る。

 安住院は瓶井山禅光寺安住院として寺名を継いでおり、広い境内に本堂、薬師堂、大師堂など多くの堂宇を有している。

 重厚な造りの本堂には、本尊千手観音立像が秘仏としてまつられている。本堂の脇室には藤原時代の制作になる毘沙門天立像が安置されている。
  本堂の左脇の厨子の中に安置される聖観音菩薩立像は、像高140cm足らずの小さな像である。現在は護摩による煤のためであろうか黒ずんでいるが、元は素 木仕上げであったと考えられる。全身に細かなノミ痕が残されているが、ノミ痕は不規則で、東国を中心に流行したいわゆる鉈彫像とは趣を異にする。
  全体的な量感は余りないものの、面相の鼻陵部や天衣や条帛などの大胆で深い衣文線や、石帯廻りの裳の折返しなどの表現は、平安初期彫刻に見られるような初 発性を持っている。特に、煩雑に感じられるほど複雑に刻まれた衣文や、天衣や裳の端部などのうねるような表現には作者の意図が感じられる。

 岡山県には、余慶寺・薬師如来坐像、大賀島寺・千手観音立像など、平安時代初中期に遡る尊像が残されているが、本像はその中でも古様を伝える像として注目される。

  現在瓶井山は操(みさお)山と呼ばれており、ハイキングコースとしても整備されている。操山のー帯には今でも多くの古墳が残されており、全長165mの前 方後円墳金蔵山古墳をはじめとして、網浜茶臼山古墳や湊茶臼山古墳など出現期の古墳が連なり、夥しい数の鉄器が出土していることから見ても、この地に古く からの豪族が大きな勢力を持っており、中央の文化が流入していたことが想定できる。

 



 


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