越前仏像旅行道中記(2010年8月27日〜8月30日)

高 見 徹

第二日目

 〜行程〜

8月27日(金) 正午12時福井駅正面改札口集合
       集合貸切りタクシー乗車 昼食
       安楽寺 → 吉崎御坊跡 → 三国神社  → 福井泊
8月28日(土) 朝倉氏の滅亡と朝倉遺跡 → ・・遺踏の見学コース(福井市安波賀町)
       永平寺 → 顕海寺 → 平泉寺 → 白山神社 → 観音堂(平泉寺町郵便局前) → 福井泊
8月29日(日) 大谷寺 → 朝日観音堂→ 八坂神社 → 神宮堂 大滝神社 → 福井泊
8月30日(月) 大安寺 → 東雲寺→ 養浩館庭園 → 福井駅15:00解散


 第一日目


 8月27日(金)

福井駅改札口 12:00集合

 北陸本線の電車の接続が悪く福井に12:00に着くためには、11:10福井着の特急に乗らねばならない。私を含め数名は、その電車に乗車。
 ところが12時5分前になっても12時になっても、誰も来ない。
 会長を含めほとんどの方は、12:03分到着の特急にて当然のように到着。確かに、ほぼ12時という意味では実質上の問題は無いが、文字通り真面目に受け取った私がバカなのか。
 取りあえず、何とか全員集合。駅ビルで食事をして、12:30にジャンボタクシー一台、レンタカー一台に分乗して出発。

 福井県は、七世紀頃に越国が分立し、越前・・越中・・越後に独立したといわれている。このうち越前国は現代の福井県、敦賀より東部、越前国は嶺北部、若狭国は西の嶺南地方に当る。
 今回は、福井市を中心として越前を訪ねる旅となる。
 二つの地域は歴史的に、宗教的に大きな特色をもっている。嶺北の三国周囲に伝えられる、6世紀初め頃の継体天皇の皇位継承問題は、未だに日本歴史の謎と なっており、白山を中心とした泰澄の伝説、鎌倉時代の道元の永平寺開創、室町時代に始る蓮如の吉崎御坊開創と、後の一向一揆の反乱など、いずれも史上に特 筆する問題を提起している。
 仏像等の文化財については、一向一揆の問題もあり、嶺南地方のような優れた像はのこされていない。しかし、福井市一乗谷遺跡や勝山平泉寺遺跡のように、忘れられたような遺跡が今も静かに眠っている。

 ● 安楽寺高野山真言宗 福井県あわら市北潟

 最初はあわら市の安楽寺。
 安楽寺は、養老二年に泰澄が創建したと伝える。

 本来山門に安置されていた仁王像の一体、執金剛神像(吽像)は、本堂内に安置されている。 像高3m近く、本堂の天井に届かんばかりの像である。
 各パーツがバラバラの状態だったそうだが、現在は立派な像に修理されている。
 筋肉の描写が見事で、写実的に力感に満ちた大像をよくまとめあげられている。
 像の足元には阿形像のものと思われる、面相・腕などのパーツがいくつか置かれている。

  ○ 執金剛神像 県文 像高294cm 寄木造 鎌倉時代

 ● 吉崎御坊跡 真宗大谷派 浄土真宗本願寺派 福井県あわら市吉崎

 午後は、浄土真宗の蓮如が統括したという、一向一揆の拠点吉崎御坊跡を訪ねる。

 吉崎御坊跡は、北陸における布教拠点として越前国吉崎にある北潟湖畔の吉崎山の頂に建立したかつての一向一揆の中心として、蓮如が寺を建てた場所であ る。民衆を中心とした宗教団体であった一向一揆は、政権を上回る程の力を持ち、大名をも自害させて実質的に政治を司るという、特異な状況が、織田信長の軍 に滅ぼされるまで約100年間続いた。
 今は当時の建物は残されておらず公園のようになっているが、高台の広い敷地で城跡のような雰囲気を漂わせている。ほぼ中央には若き青年僧姿の銅像が建っている。
 御坊跡に向う階段の西側に浄土真宗本願寺派の別院が、東側に真宗大谷派の別院が置かれる。 ともに「吉崎別院」と称するため、本願寺派の別院を「西御 坊」「(吉崎)西別院」、大谷派の別院を「東御坊」・「(吉崎)東別院」と通称される。また、「吉崎寺」(本願寺派)「願慶寺」(大谷派)などの寺院、本 願寺維持財団が運営する「吉崎御坊 蓮如上人記念館」がある。
 願慶寺は、夫の命日に吉崎詣りを行う嫁を憎み、面を被って嫁を脅かしたところ、顔から面が剥れなくなったという伝説の「嫁おどし肉附き面」があるらし い。しかし、以前に拝観したことのある同行者によれば、拝観するためには、伝説を一通り40分以上聞かねばならなかったという話を聞いて、即却下。

 
 

 ● 三国神社 坂井郡三国町山 伝承継体天皇

 継体天皇(507〜531)の創建の伝承があり、継体天皇と大山咋命を併祀している。
 境内は約17,000m2あり、本殿の各所に江戸時代の名工志摩実時らの三猿の彫刻がみられる。
 入口の石段には、お祭りの準備だろうか、龍を象ったようなカラフルな飾り物が置かれている。
 我々の他に参拝者はおろか、神社の神主や巫女さんなどもおらず、鬱蒼とした森の中に静寂な佇まいを見せる。
 
 

 そのままホテルに帰るには時間が少々余りそうなので、皆さんの希望を聞いて東尋坊に行くことにした。
 何十年も前に一度訪ねた時は、海も荒れここから飛び込む人の気持ちも分からないでもないと思った記憶があるが、行ってびっくり。
 広大な駐車場に無数の土産物屋、沢山の観光客。これではオチオチ飛びこめる雰囲気ではない。
 しかし流石に絶壁の迫力は抜群で、観光客が集まるもの納得できる。
 運転手さんにこの辺りの観光スポットを聞いたところ、ウーン、ここと芦原温泉くらいかなぁ〜、とのこと。
芦 原温泉は東尋坊に行く途中にある一大温泉エリアだが、車から見る限り、大きなホテルがいくつも閉館している様子が見えた。この不景気では温泉で芸者をあげてなどという社用族は激減しているはずで、その内東尋坊だけになってしまうかも知れない。

 

 今日はほとんどが観光名所めぐりとなってしまった。

 17:00ホテル到着

 




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