アンコールの四面仏

松田和也

(写真をクリックすると大きな写真が表示されます)

  巨大な石仏の顔がある。少し怖いような、あるいは含み笑いをしているような顔である。石造建築には密林の木の根が蛇のように巻き付いていて、今にも壊されそうになっている。そういう写真に強烈な印象を受けられた方が多いかも知れません。アンコール・ワットとかアンコール・トムという、むかし教科書で覚えさせられた名前が、その後写真で見た印象と重なり、僕も一度は実物を見てみたいと思っていました。今夏、幸いにも実現しました。

 内戦、ポルポト派、地雷等のイメージにつきまとわれるカンボジアですが、今はアンコール遺跡は観光に何ら不自由はなく、一度見たら忘れられないすばらしい遺跡群です。
 巨大な石造建築、精妙な浮き彫りなど見逃せないところばかりですが、仏像好きの僕は、何よりも、四面仏、それにデヴァター(女神)またはアプサラス(舞姫)の浮き彫りに心惹かれます。

 アンコールでは、仏教とバラモン(ヒンズー)教が互いに相手を徹底的に排斥することはなく不思議に融合しているようです。四面仏は観音像だと考えられているようですが、僕らの頭にある観音様からすればなんと変わっているのでしょう。実際、これが観音だということが判明する前は、シヴァ神が定説になっていたようです。ところが宝冠中に阿弥陀が刻まれている像が発見され、観音だということになったようです(深作光貞「アンコール・ワット」角川文庫、昭和40年)。

 この四面仏を刻んだ塔が多数集まったのが、都城であるアンコール・トム内にあるバイヨン寺院です。かって梅原猛氏は、この塔がかっては53基あったとの前提で、これは華厳経において善財童子が訪れた世界の数と一致するから、四面仏は観音ではなく(東大寺と同じく)毘廬遮那(ビルシャナ)であり、バイヨンは華厳世界であるという見解を出されたことがあるようです。またシヴァの第三の目が見てとれるから、仏教とヒンヅー教が融合しているとの見解もあります(宗谷真爾「アンコール史跡考」中公文庫、昭和55年)。ともかく複雑な性格の仏(神?)様であるようです。 

  さて、アンコール・ワットやバイヨン寺院をはじめ、アンコールの多くの遺跡には、デヴァダー(女神)やアプサラス(天の舞姫)が、これでもか、と言わんばかりに多数刻まれています。左の写真はワットで撮影したデヴァダーです。薄彫りにもかかわらず、完成度の高い美しい彫刻だと思います。また、右は、旅行から帰ってから入手した「アンコール・ワット拓本集」(昭和19年)に出ている拓本(の印刷)です。薄彫りだから拓本にピッタリなのかも知れません。この拓本は、大戦中に日本の兵隊が駐留している中で行われたようです。東本願寺の調査隊が、コウモリの糞に悩ませられながら、浮き彫りの拓本を取ったことが記されています。

 アンコール遺跡群にはワット、トムだけでなく他にも多くの巨大ですばらしい遺跡があります。上記拓本集に大回りコース・小回りコースの両観光コースが説明されていますが、これは今も同じで、これらのコースを回ることで(3泊)主なものが見てまわれます。
 カンボジアは貧しい国です。警官が警察バッジを「買わないか?本物だよ」と売りたがります。実際に本物のバッジだそうで、売れたバッジは、紛失したことにすれば再交付されるのだそうです。

 アンコールの見学パスは三日間通用で40米ドルですから、ずいぶん高価と言えます。しかしあれだけのものを見ることのできる僕らには何でもありません。遺跡の修復はフランスや日本の貢献もありかなり進んでいますが、今でも小石一つをはずせばガラガラと来るようなところが残っています。観光収入がカンボジアの命綱かもしれません。江戸時代に訪れた日本人は、ここをインドの祇園精舎と思いこんだようで、そのように書いた落書きが残っているようです。苦労してたどり着いたことでしょう。今では、グループ・ツワーで、朝、日本を発ち、バンコックまたはホーチミン経由、門前町とも言うべきシェムリアップに夕方着です。帰ってからも印象が薄くならず、思い出せば何度でも楽しめます。皆さんも一度足を運ばれては如何でしょうか。         

(2002年12月記)

 

 

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