仏 像巡り今昔 ―東京寧楽会設立経緯―(第三回)

東京寧楽会代表 川尻 祐治


1、
寧楽会の歴史と活動
2、奈良夏期大学の顛末、講師のこと

3、
白鳳会のこと、古書のこと


 3. 白鳳会のこと、古書のこと
 前回、寧楽会が久野健博士にご指導を受けたことについては説明したが、久野博士からは他にも貴重な勉強をさせて頂いた。
  それまで私をはじめ、寧楽会会員の多くは仏像が好きであっても、個人の所有や蒐集家の手元にある像にお目にかかる機会はほとんどなく、仏像の拝観は寺や博 物館、美術館に限られ、ややもすると民間にあるものは文化財指定を受けた像のみが評価の対象と思い込んでいた。したがって個人所有の像や仏教美術品とよば れる古美術品については全く知識も無く、触れる機会もなかった。
 昭和50年代に入り、久野博士が文化財研究所を退官され、文京区白山に仏教美術 研究所を設立されると、久野博士から、民間の仏教美術品蒐集家や愛好者を対象に、月一回程度の勉強会を開くので参加しないかとお話があった。このお誘いに 私をはじめ寧楽会会員の一部も参加させて頂いた。会名は久野健博士の号から「白鳳会」と名付けられた。
 当初の白鳳会会員には蒐集家が多く集まっ た。勉強会にはそうした仏教美術品の蒐集家達がその所蔵品を持ち寄り、先生から解説を伺い食事を共にすることから始まった。やがて勉強会は仏教美術小品展 として、2回ほど公開の展覧会を開催した。このお手伝いは古美術品の取扱方、見方など大変な勉強になった。
 いうまでもなく、明治の廃仏毀釈や第二次大戦後の所蔵者の没落などで、社寺や権門貴族によって奥深く祀られ、秘蔵されていた仏像や古美術品が手放され、古美術商などの手を経て、世の中に数多く流れ出た。
 しかし一旦個人の所蔵になると再び秘蔵され、多くは一般の拝観が難しくなっている。また寧楽会ではそれを扱う古美術商とのお付合いもなく、個人所有の古美術品は全く未知の世界だった。それが眼前に開けた。
 鍍金に輝く新羅仏。奈良唐招提寺の盧舎那仏の光背の賢劫千仏。
 小像ながら雄渾な彫法をもつこの坐像は、光背から離れていても本体の素晴らしさを充分想像させ、平安初期彫刻の到来をうかがわせてくれる像である。
  あるいは奈良興福寺の千体観音立像や千体地蔵菩薩立像。特に千体観音立像は40cmたらずの像で、今では寺にもほとんど残されていない。藤原貴族の好みに かなった温和な、優しい像である。さらには9cmから12cmたらずの民間信仰をうかがわせる奈良元興寺の千体地蔵菩薩立像。
 新薬師寺の自然居士の作と伝えられる毘沙門天立像など。
 一方、法隆寺金堂の灌頂幡付属の袋形金具と鈴。そして正倉院の金工品についていたと考えられる古代の金具。現在も室内の実用品に転用されていることもある高雄神護寺の経帙に使われた蝶の羽を模した留め金具など。
 また像の体内に収められていた刷仏や、足利尊氏が日課とした印仏。
 あるいは大聖武をはじめとする写経の数々など。(古仏礼賛 久野健著 芸艸堂(うんそうどう)刊参考)
  私事であるが父の法要のために奈良の古美術商から神護寺経を一紙購入し、菩提寺に納めたことがある。文覚や後白河法皇の故事で名高いこの紺紙金泥経は今も その寺の方丈に掛けられ、他の置物を寄せ付けない存在感がある。これらの多くは美術史の教科書には掲載されない小品であるが、愛好家によって大事に保管さ れ、実際に歴史の重みを手に感じさせる存在感がある。
 こうして手にする機会もなかった仏教美術品の数々を目の当たりにし、そして触れた時、寺や博物館とは異なった感激を味わった。
  この白鳳会への参加は、より多くの蒐集家や古美術商の人達に知己を得た。時にはその美術品を拝借し、家で詳細の勉強をするも機会まで頂戴することができ た。また蒐集家のお宅に伺い、かって名神大社のご神体であった懸仏や大寺から流れた図像集の残欠などにも触れることができ、多くの勉強ができた。
 そんなことから自分でも小遣いで購入できる範囲の品をたまに求め、身の回りに置き、歴史と美の中に陶酔すると共に、今更ながら仏教美術の奥深さを知り、目分の浅薄な知識を恥じている。
 現在白鳳会の活動は、外国へ出掛け安くなったこともあり、諸外国の美術品見学の旅が中心となっている。
 最近、寧楽会会員も高齢の人が増え、そろそろ身の回りも整理して置きたいので蔵書を処分したいと相談を受けることが増えた。
  古書店に相談したらというが、その古書店も古書の値崩れで引き取らなくなったという。そうした時は一括して私の家に送って貰い、自身が必要とする本、欲し い本は数冊のことが多いが、会員を中心に希望する人には、差し上げることにしているが、一週間もしない内にすべて無くなることが多い。勉強したい人の手に 渡ることが書籍にとっても喜ばしいと思っている。
 そうしたこともあって自分の蔵書も増え、書籍が書架には収まらなくなってきた。庭にプレハブの物置を置いたり、格納箱を求めて物置に積んだりし、時々同じ本を購入して悔やんでいる。
 古書店は何時でも運送車で出向くから連絡して欲しいというが、その気にもなれない。図書館も何時でも引き取るというが、大半は特別閲覧室に収納され、一部の研究者のみの活用になってしまうだろう。そんな訳で今は本のための自宅改造を考えている。
  古書の購入についてもいろいろな思い出がある。仏教芸術(毎日新聞社)の3号と7号の間を欠いていた。ところがある時、デパートの古書即売会の目録が事前 に送られてきた。早速見ると4、5、6号の3冊のみが売りに出ている。すぐに親しい古書店に頼むと、誰も買う人もいないだろうから、即売会が終わったらす ぐにお届けします、という話しであった。
 ところが開催日、同業2店から引き合いが入り購入を諦めてもらえないかという。どうしても欲しいから購 入して欲しいと強硬に申し入れた。即売会の最終日、購入を依頼した古書店のご主人が何とか手にいれましたといって意気揚々と3冊の本を届けてくれた。しか も値段は一旦価格設定された本だから同額で良いということであった。
 書籍ではないが、写真にも思い出がある。京都東寺の伝真言院曼荼羅の胎蔵界 曼荼羅の写真である。ある人のお世話をしたところ、お礼にといって、45cm四方の額装にした写真を贈呈された。書斎に飾っておき、曼荼羅を勉強する時に はこの写真と睨めっこをした。暗い中でライトを当てると、諸像が浮かび上がる。子供達は怖がって逃げ出してしまうほど迫力のある写真である。これを友達の 仏具屋さんにお貸ししたところ、立寄ったお寺の住職がどうしても欲しいといって自寺に持ち帰ってしまったという。それから十年もたった。そろそろ返して貰 おうと思っている。また自分も執筆させて頂いた世界文化社刊「日本の仏像」もそうだ。
 お寺さんで仏さまを造るので参考にしたいといって持ち帰り、十年たった今も戻ってこない。書籍の貸し借りは悪気がないだけに難しい。なおこの本は評判の良い本で古書店で見掛けることもない。

−了−



 
本ホームページの母体団体である東京寧楽会が、来年設立50周年を迎えることを記念して、仏像巡り今昔−東京寧楽会設立経緯−を掲載します。この記事は、2004年に「古仏へのまなざし」に掲載して頂いたものですが東京寧楽会の発足の経緯を知る貴重な記事であるため、再掲させて頂きました。

 なお、記事の中に出てきます、金子良運先生、河野清晃貫主、久野健先生は、いずれも故人となられました。ここにあらためてご冥福をお祈り申し上げます。(高見 徹記)


  
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