埃まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第八十回)



  第十七話 中国三大石窟を巡る人々をたどる本
〈その2〉雲岡・龍門石窟編


 【17−7】

【東方文化研究所の雲岡石窟調査・研究】

 「雲岡石窟」全16巻32冊という本がある。

「雲崗石窟」全32巻

 1951〜56年(S26〜31)に刊行された、京都大学人文科学研究所(旧東方文化研究所)の調査研究報告の大冊である。
 現在においても、この本を越える調査研究報告書は、当然に無く、「雲岡石窟調査書」の大定本として、燦然と輝いている。
 なんと、古書価は150万円以上という破格の重価である。

 この大著「雲岡石窟」は、日中戦争のさなか行われた東方文化研究所の石窟調査の研究成果の発表を、戦後モニュメンタルな出版で実現するに至ったものである。
 昭和に入っての「雲岡石窟を巡る人々」については、この大著を為すに至った調査研究事業と携わった人々からはじめることとしたい。

 1928年(S13)、東方文化研究所は、雲岡石窟調査研究事業を行う事となった。
1944年(S19)まで7年の長きに亘り、所員たちが現地に滞在して調査研究が行われた。
 太平洋戦争に突入し、日中戦争が泥沼化し抗日の戦いが激しさを増す中での、画期的で未曾有の本格調査事業であった。
 大著「雲岡石窟」は、東方文化研究所の所員で雲岡石窟調査にあたった水野清一と長広敏雄が、著したものである。
 そして、水野清一と長広敏雄は、その後も雲岡・龍門石窟に関する、数多くの論考と著作を刊行し、「昭和という時代」における雲岡・龍門研究の第一人者として、他の追随を許さない双璧の重鎮となった。


 この「東方文化研究所の雲岡石窟調査」については、その状況を詳しく記録した本がある。

 「雲岡日記〜大戦中の仏教石窟調査〜」 長広敏雄著 (S63) 日本放送協会刊 【217P】 750円

 この本は、長広敏雄が雲岡石窟調査に携わった手記で、日記形式で当時の出来事や有様が、率直にわかりやすく綴られている。
 雲岡石窟調査の状況が、手にとるように判り楽しく読みすすめる本で、必読一押しの本。

 この「雲岡日記」をベースに、7年間亘る石窟調査の有様を紹介していこう。

 水野清一と長広敏雄は、共に1905年(M38)生まれ。二人は、京都大学で考古学専攻、浜田耕作の弟子となり、京大人文科学研究所の前身である東方文化研究所の所員となった。
 研究所では、中国石窟の調査研究が企図され、カメラ技師羽館易と共に、手始めに響堂山石窟調査に向かう。ところが官憲の許可が出ず十分な調査が出来ず、その代わりに龍門石窟を6日間に限り踏査する。1936年(S11)、水野・長広31歳の時であった。

 

水野清一           長広敏雄

 この龍門石窟調査成果は、後に次の本の刊行で発表される。

 「龍門石窟の研究」 水野清一、長広敏雄著 (S16) 座右宝刊行会刊
復刻版 (S55) 同朋社刊



 そして、1938年(S13)から、雲岡石窟調査事業が開始された。
 以来、毎年3〜6ヶ月間、7回に亘って調査が続けられることになるが、第一次調査には、長広敏雄は参加できず、水野清一と羽館易が渡航した。
 長広が同人の一人であった「世界文化」誌グループが治安維持法違反で検挙され、その嫌疑もあり渡航許可が下りなかったのである。
 その後、長広にも渡航許可が下り、第二次調査から合流する。

 調査は、各洞内及び仏像の実測図、立面図、スケッチの作成、写真撮影、拓本採拓など、都度足場を組んだりしながら粘り強く行われた。

 

調査のために足場を組んだ露座大仏     露座大仏から撮影する羽館易    


前田青邨筆「露座大仏」

 その間、数多い著名人が見学、探訪に訪れたようだ。
 写真家の小川晴晹、画家の前田青邨、福田平八郎、杉山寧、文化人では九鬼周造、 木下杢太郎、代議士、華族など多士済々、当時は大同、雲岡まで安全に往来出来たようだ。
 当初3ヵ年の計画だった調査は結局7年続き、1945年(S20)には戦局悪化で渡航不能となり終了する。
 それにしても、日本が存亡をかけた大戦の真っ只中で、日本軍の手厚い保護があったとはいえ、中国本土において石窟調査研究に、よく専念出来たものと思う。

 終戦後、この調査結果の出版は、文部省からの多額の出版費助成により実現できることとなり、「雲岡石窟」200部が刊行された。第1巻が1951年(S26)刊行、以降年に3巻づつ、5年の歳月をかけて、この大出版企画は完結した。
 水野・長広は、この出版が評価され、1952年(S27)年、学士院恩賜賞を受賞する。

 最近、2006年(H18)、なんとこの「雲岡石窟」の遺物篇が刊行された。

雲崗石窟「遺物編」

 この遺物篇は、長広・水野が東方文化研究所の雲岡石窟調査で収集した資料のうち、未発表のままであった遺物の研究報告。
 瓦・土器・陶磁器が主で、現在、京都大学人文科学研究所に保管してあるそうだ。
調査より60年あまり経ち、それらはようやく日の目を見ることになった。
 これで「雲岡石窟」は、一冊増えて全33巻になるのだが、なんとも壮大に気の長い話。
 それほどの、大調査事業であったということなのであろう。


 ここで、水野清一、長広敏雄の雲岡・龍門石窟に関する著作を紹介しておきたい。

 まず、水野清一の本。

 「雲岡石窟とその時代」 水野清一著 (S27) 創元社刊 【179P】 220円
 〜初版はS14、支那歴史地理叢書の一冊として刊〜

 雲岡石窟を造営した北魏の歴史と石窟造営の背景、展開を解説した本。


 「雲岡石佛群」 水野清一著 (S19) 朝日新聞社刊 【135P】 23.5円

 雲岡石窟調査事業に従事中の水野が、その調査成果を踏まえ、雲岡石窟の解説書として出版した。
 大判で、羽館易撮影の写真がふんだんに使われた、当時の豪華本。
 解説は、わかりやすく丁寧で、掲載写真は大変シャープで美しい。
 ただ本書の出版については、長広敏雄が以下のような不満を述べている。

「私 にとってショッキングだったのは、水野君が『雲岡石仏群』の巨冊を突然に出版したことだった。・・・・・・・・・・私と水野君とは響堂山石窟、龍門石窟、 いずれも共著の形で、調査内容を公表して来た。これは共同研究では当然そうあるべきことなのだ。雲崗もまた、なによりも共同の調査研究という形で進めてき た。それが抜け駆けで豪華な図集を彼は出版したのだ。」(雲岡日記)

 学者の世界も、なかなか難しい面があるようだ。

 
               羽館易撮影雲崗石仏

 「東亜考古学の発達」 水野清一著 (S23)大八州出版刊 【245P】 100円

 中国朝鮮の考古、古文化の発掘、調査、研究史について、「邦人の調査、欧米人の調査、中国人の調査」という項立てで編年史の形式で解説した研究史本。
 中国石窟の発見、調査史についての解説も記されている。


 「中国の彫刻 石仏・金銅仏」 水野清一著 (S35) 日本経済新聞社刊 【207P】 7000円

 中国古代彫刻、北魏から唐彫刻までの彫刻史、写真解説書。
 中国古代彫刻史を通史的に解説した本が数少ないなかでは貴重な本。

 


 「中国の仏教美術」 水野清一著 (S43) 平凡社刊 【489P】 2200円

 水野清一の京大教授退官記念論集として、中国美術に関する水野の論考31編を収録した本。
 ほとんどが北魏から唐代にかけての石窟仏等についての論考。
 雲岡石窟については、石窟仏そのものの論考のほかに「雲岡石窟調査記」「雲岡石窟の発掘」という調査記が収録されており、当時の調査事業の状況を知ることが出来る。


 「水野清一博士追憶集」 (S48) 水野清一博士追憶集刊行会刊 【176P】 非売品

 水野はS46年、66歳で没した。水野と近しかった人々が、幼少から晩年まで各自思い出話を寄稿し、おのずから一代記が出来上がるようにと、編集された本。
 雲 岡石窟調査時代については、長広のほか共に調査に当たった小野勝年、長尾雅人がそれぞれ「石窟寺院の調査研究」「雲岡調査のことども」「雲岡での一齣」と いう文章を、また塚本善隆、貝塚茂樹が「石窟にとりつかれた学究」「雲岡石窟刊行の経過など」という興味深い文章を寄稿している。

 
                    水野清一作図・雲崗石仏詳細図


 次に、長広敏雄の本。

 「大同石仏芸術論」 長広敏雄著 (S21) 高桐書院刊 【174P】 20円

山雲崗第16洞本尊

 長広敏雄が雲岡石窟について、初めて世に持論展開した本である。
 本書には、「仏像の服制」と題された、有名な論考が載っている。
 論旨のポイントは次のようなものである。

「雲 岡仏像の服装は、インド風の西方直模式と中国的な北魏式にはっきり2大別される。前者は曇曜五窟の大部分に見られ、後者はそれ以降に盛行したものである。 これは漢式服制を導入した孝文帝時代の服制改革(太和10年・468)が、仏像の服制まで波及していったと考えられる。漢式の皇帝の冕服を着ている第16 洞本尊、第6洞仏像が、新服制へ転換した頃の造仏例である。」

 この論考は、大きな反響を呼んだが、後年には、様式の大きな変化は認めるものの、「指摘の服装は皇帝の冕服と違う」という論や、服制改革に直接起因したものではなく「北魏によって創案された新様式とはいえない」という批判が行われている。


 「飛天の芸術」 長広敏雄著 (S24) 朝日新聞社刊 【221P】 450円

 法隆寺壁画飛天の源流研究ともいえる本。
 中国では雲岡、龍門、響堂山石窟の飛天についての論考が掲載されている。


 「雲岡と龍門」 長広敏雄著 (S39) 中央公論美術出版社刊 【170P】 470円

 愛好者向け解説書ではあるが、雲岡・龍門石窟についての歴史的背景、美術史的意義、各洞仏像の概容と魅力などがわかりやすくしっかりしたレベルで説明されている。
 雲岡・龍門解説書としては、最上の書。


 「長広敏雄 中国美術論集」 長広敏雄著 (S59) 講談社刊 【568P】 15800円

 本書は、長広が単行本として刊行したものを除く論考を集成したもの。
 雲岡・龍門石窟関係の論考が8編収録されている。

 長広の雲岡・龍門関係の著作には、以上のほかに、「六朝時代美術の研究」(美術出版社・S44)、「雲岡石窟 中国文化史蹟」(世界文化社・S51)がある。

 

 


      

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