埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第二百十回)

   第三十一話 近代奈良と古寺・古文化をめぐる話 思いつくまま

〈その8>明治の仏像模造と修理 【模造編】

(9/9)



【目次】


1.はじめに

2.明治の仏像模造〜模造された名品仏像

3.模造制作のいきさつを振り返る

(1)仏像模造に至るまで
(2)岡倉天心による仏像模造事業の企画
(3)仏像模造制作の推進と途絶
(4)その後の模造制作

4.仏像模造に携わった人々

(1)竹内 久一
(2)森川 杜園
(3)山田 鬼斎

5.昭和・戦後の仏像模造

6.仏像模造についてふれた本

(1)模造作品展覧会図録・模造事業の解説論考
(2)仏像模造に携わった人々についての本・論考



6.仏像模造についてふれた本


さてここからは、明治期の仏像模造事業について書かれた本や、仏像模造に携わった人たちについてふれられた本のご紹介です。

ただ、このテーマ、結構マイナーな話で、単行本で明治期の仏像模造などについてふれた本は、ほとんどありません。
わずかに、美術史や文化財研究誌の掲載論考などに、このテーマを取り上げたものが、ちらほら見つけられる程度です。

このテーマについての話を知るには、こうした研究誌の掲載論考を読んでみるしかないようですので、ちょっと堅苦しいのですが、そうした論考のご紹介が増えてしまうと思いますが、ご容赦ください。


(1)模造作品展覧会図録・模造事業の解説論考


先ずは、仏像模造作品が出展された展覧会の図録や、明治の仏像模造事業について解説された論考のご紹介です。


「模写・模造と日本美術〜うつず・まなぶ・つたえる〜」展図録 東京国立博物館編集・発行 (H17) 【111P】


2005年7月に開催された、日本美術の模写・模造の展覧会の図録です。

この展覧会は、模写・模造作品だけを集めた特別展で、大変見ごたえのある大規模な展覧会でした。
明治以来の模写・模造の傑作が、法隆寺壁画模写や正倉院御物模造などを含め、67点も出展されました。

仏像模造も、先にご紹介した明治の仏像模造事業作品8点全部のほか、新納忠之介の中尊寺・一字金輪像、法隆寺・百済観音像、関野聖雲の浄瑠璃寺・吉祥天像などが展示され、当時の仏像模造事業の全貌を、眼のあたりにすることが出来ました。


この図録を見ると、明治以降の仏像模造作品の写真が、皆、掲載されています。




また、次のような解説、論考が掲載されており、明治期の仏像模造事業の歴史をたどるには、この図録掲載文で、ほぼ尽くされていると思います。

・「よみがえる仏たち」 松浦正昭氏執筆

・「近代日本の模写・模造」 佐藤道信氏執筆

・「明治中期における博物館の彫刻模造事業について」 佐藤昭夫氏執筆

・「明治30年ごろの模造彫刻の展示」 浅見龍介氏執筆

今回の「明治の仏像模造事業の話」は、殆どこれらの解説・論考をベースに、まとめさせていただきました。

ご関心のある方には、必携の図録だと思います。


「美の再現〜国宝の模写・模造」展図録 東京国立博物館編集・発行 (H8) 【54P】


この展覧会は、文化庁と東博共催で開催されました。


戦後、昭和28年以降に、文化庁で実施してきた国宝を中心とした模写・模造事業によって、制作された作品が展示されました。
仏像模造は、この間制作された10件のうち4件が展示されましたが、図録には全部の写真が掲載されています。


論考などは掲載されず、作品の簡単な解説がされているだけですが、戦後の模写・模造事業を概観することが出来ます。



「明治仏像模刻論」 浅井和春執筆 (H24) 国華1400号所載 【9P】 朝日新聞社刊


「岡倉天心の模造観の形成」という副題がついています。

明治初年の町田久成等による博物館の成立と模写・模造への取り組みから説き起こし、岡倉天心が、仏像の模造展観事業へ取り組んでいくいきさつ述べられています。

天心が、古社寺宝物調査を進めるなかで、日本美術史の体系化、名品傑作の啓蒙の必要性を認識し、仏像模造事業を企画する経緯が良く判ります。

また、天心による新納忠之介を中心とする仏像修理事業への取り組み経緯についても触れられています。




(2)仏像模造に携わった人々についての本・論考


先ずは、竹内久一についてです。

「竹内久一レポート」 吉田千鶴子執筆 (S56) 東京芸術大学美術学部紀要16号所載 【28P】

「岡倉天心の彫刻振興策と久一」という副題が付けられています。


竹内久一については、近代明治の木彫史上では、大変功績のあった人物であるにも関わらず、その生い立ちや足跡、業績について、詳しく論じたものは、この論考が出るまではなかったように思います。

28ページにも及ぶ労作で、竹内久一という人物と、その彫刻芸術観や理念などが、詳しく論及されています。
岡倉天心との出会いや、仏像模造事業への取り組みに至る経緯、そして模造から脱却して創作木彫へ展開していく竹内の彫刻理念など、大変興味深く読むことが出来ます。

竹内久一の足跡・功績、岡倉天心との関わり合いを知るには、この論考を読むしかないのかなと思います。


「木彫を志せる動機と奈良行の顛末」 竹内久一執筆 (M45) 書画骨董雑誌47号所収 【5P】


竹内久一が60歳の晩年に綴った、回想文です。


標題通りの内容で、牙彫師から奈良の名作仏像を観て木彫を志すいきさつ、奈良滞在時の有様などが、思い出深く語られています。


「模造は、あくまで技量修行、研鑽のひとつの手段」で、「自らの個性を発揮する彫刻家」になることが重要なのだという、竹内の信念も、文中で語られています。



次に、森川杜園について書かれたものをご紹介します。


「芸三職 森川杜園」 大津昌昭著 (H24) 燃焼社刊 【505P】 2500円

森川杜園の生涯を描いた、500ページを超える大著です。


奈良の地域誌「月刊大和路ならら」に4年にわたって連載され、単行本化されました。
著者は、元奈良女子大付属小学校副校長を務めた方で、平成5年(1993)奈良県立美術館で開かれた没後百年記念「森川杜園展」を観て以来、森川杜園という人物、生涯に強い興味を持つようになり、この本の上梓に至ったと云うことです。

森川杜園についても、その名が広く知られていないこともあり、その詳しい評伝などはなかったのですが、この大著を読めば、森川杜園について深く詳しく知ることが出来ます。
物語風に会話を交え、セミノンフィクション的に綴られていますが、杜園の生い立ちから、足跡、作品に至るまで、丹念、克明に、思いを込めて描かれています。

私も、この本をじっくり読んで、森川杜園という人物について、よく知ることが出来ました。
よくぞ、これだけの内容を調べ上げ作品にされたものだと、讃嘆する労作です。


「大和古物散策」 岡本彰夫著 (H12) ぺりかん社刊 【174P】 2600円


この本は、「大和古物」「奈良古物」というものを各種採り上げ、それにまつわる話や薀蓄などを綴ったものです。
「元興寺の千体仏、春日盆、赤膚焼、奈良の道具商」といった項目が50項目ほど挙げられていますが、その中に「森川杜園」という項立てが設けられています。

5ページの短文ですが、杜園の人となりや、作品、模造、贋作などについて、エピソードを交えて愉しく語られています。

著者の岡本彰夫氏は、春日大社の権宮司を務める仁で、帝塚山学園大学の講師もされているようです。
いわゆる「奈良通」の方で、「大和古物」を扱った3冊の著書は、興味深く面白く読めます。


「没後百年記念 森川杜園」展図録 奈良県立美術館編集・発行 (H5) 【111P】


森川杜園没後百年を記念した回顧展が、奈良県立美術館で開催されました。
この展覧会は、森川杜園作品を集めた最大の展覧会であったようです。
131点にも及ぶ、杜園作品が出展され、杜園の仏像模造作品も、すべて7点が展示されました。

図録には、次のような二編の森川杜園の足跡、模造への取り組みを知ることが出来る論考が、掲載されています。

・「華麗なる心象―杜園芸術の成立と展開―」 浅井允晶氏執筆

7ページの、杜園の評伝的解説で、奈良人形・一刀彫の名人としての杜園の近代彫刻史上の芸術的位置づけなどが、判りやすく解説されています。

・「森川杜園と模造」 菅居正史氏執筆

森川杜園の、古物模造への取り組みの足跡、模造作品について解説されるとともに、杜園の模造芸術について論ぜられています。


「森川杜園の芸術」 竹内久一執筆 (M44) 書画骨董雑誌60号所収 【4P】


森川杜園に、九面観音像の模刻を依頼した竹内久一が、杜園の芸術を回顧して綴ったもの。
竹内は、奈良に滞在し仏像彫刻を学んだ時に、森川杜園と交友があり、木彫や彩色の技法を多く学びました。

先に記しましたが、竹内は、この回想記のなかで、杜園の木彫の技量については認めながらも、その芸術性については、

「杜園のものは巧いかと云ふと疑問である。
本当の通りに出来たと云ふ事が当って居る。
・・・・・・・・・・・
彼の制作は殆ど模造許りである。」

と、厳しくこき下ろしています。

短文の回想記ですが、竹内久一の杜園観、芸術観がよくうかがえ興味深いものです。


「森川杜園『正倉院御物写』の世界」 東京大学大学院工学系研究科建築学専攻編集・発行 (H21) 【48P】


東大大学院建築学専攻の所蔵品の中に、森川杜園の手になる「正倉院御物写」と題する、巻子本・全八巻が残されています。
この存在は、近年まであまり知られていなかったそうです。

巻子本には、正倉院宝物の模写・拓本類約100点が、張り込まれています。
杜園が、明治5年(1872)から13年(1880)までの正倉院宝物調査において作成された、模写、拓本類を中心に、杜園の手元に残されたものを、内容にしたがって分類し、第1巻から第8巻までに貼り交ぜたものと推測されています。

この冊子は、この「正倉院御物写」を紹介した図録になっています。
森川杜園は、正倉院宝物の模写・模造に参画したことを機に、古物模造の世界に傾倒していくことになるわけですが、その頃の杜園の技を偲ぶことが出来ます。

稲田奈津子氏執筆の「森川杜園『正倉院御物写』の世界」と題する解説も所載されており、杜園の、正倉院宝物の模写取組への経緯や、作品解説が記されています。



最後に、山田鬼斎について書かれた資料をご紹介します。

竹内久一、森川杜園も、今ではあまり知られているとは言えないのですが、山田鬼斎は、早世したせいか、それよりもはるかに無名といっても良いのではないかと思います。
鬼斎の生い立ち、足跡について書かれたものは、次の二つの論考しか見つけることが出来ませんでした。


「山田鬼斎について」 千沢骼。執筆 (S33) ミューゼアム第84号所収 【7P】 東京国立博物館刊


この論考の冒頭、執筆者の千沢氏は、このように述べています。

「(山田鬼斎は)日本近代彫刻史上に大きな足跡をのこした人であるが、不幸にして幼時チブスにかかり高熱のため心臓をいためたためか、三十八歳の短命にて世を去り、また詳細な日記類もこんどの戦災で焼失してしまったので、その業隣については広く知られていないのではないかと思う。

今回・・・・家蔵の珍らしい遺品類のほか、本人自筆と思われる履歴書をみる機会を得たが・・・・・」

山田鬼斎の生い立ち、生涯については、この「履歴書」が紹介されるまでは、よく知られていなかったようです。

鬼斎本人によって、年を追って詳しく書かれた「履歴書」をたどりながら、鬼斎の生涯、業績が綴られています。


「山田鬼斎とその彫刻・明治古美術断章7」 浅井允晶執筆 (S53) 心31巻7号所収 1【10P】 平凡社刊

千沢氏の山田鬼斎論考をベースに、鬼斎の生涯、業績、芸術観などを、やさしくたどり、解説したものです。

判りやすく、鬼斎の生涯を知ることが出来ます。






ここまで、明治の仏像模造事業と、博物館への展示のいきさつの話をたどってきました。

そこには、岡倉天心等による「日本美術の発見」と、その日本美術の名作への認知、啓蒙をはかろうとする強い思いがあったことを、知ることが出来ました。

仏像模造事業は、この思いを実現するため、

「博物館に名作模造を展示し、帝都東京の人々に、日本美術の傑作を眼のあたりにしたい」

というものであったのです。

また、この模造に携わった人々は、まさに、当時の造形精神まで写し取ろうとする「伝移模写」の精神で模造に取り組み、「真写し」の作品制作を実現したのです。

竹内久一、森川杜園、山田鬼斎という、今ではあまり知られなくなった、優れた近代木彫家の足跡をたどれたことは、大変興味深いものでした。

今度、東京国立博物館を訪れ、「模造仏像展示」を目にした時は、こうした模造事業実施への思い入れや、制作した人々の足跡に思いを致しながら、新たな気持ちで、鑑賞してみたいと思っています。



次回からは、明治の仏像修理・修復事業と、これに携わった人々について、たどっていきたいと思います。






 

参  考
  第 三十一話近代奈良と古寺・古文化をめぐる話 思いつくまま
〈その8〉 明治の仏像模造と修理 【模造編】

〜関連本リスト〜

書名
著者名
出版社
発行年
定価(円)
「模写・模造と日本美術〜うつす・まなぶ・つたえる〜」展図録 東京国立博物館編集・発行

H17

「美の再現〜国宝の模写・模造」展図録 
東京国立博物館編集・発行

H8

明治仏像模刻論
浅井和春
国華1400号・朝日新聞社
H24

竹内久一レポート
吉田千鶴子
東京芸術大学美術学部紀要16号
S56

木彫を志せる動機と奈良行の顛末
竹内久一
書画骨董雑誌47号
M45

芸三職 森川杜園
大津昌昭
燃焼社
H24
2500円
大和古物散策
岡本彰夫
ぺりかん社
H12
2600円
「没後百年記念 森川杜園」展図録
奈良県立美術館編集・発行

H5

森川杜園の芸術
竹内久一
書画骨董雑誌60号
M44

森川杜園『正倉院御物写』の世界
東京大学大学院工学系研究科建築学専攻編集・発行

H21

山田鬼斎について
千沢骼。
ミューゼアム84号・東京国立博物館
S33

山田鬼斎とその彫刻・明治古美術断章7
浅井允晶
心31巻7号・平凡社
S53



 


       

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