埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第二百二回)

   第三十一話 近代奈良と古寺・古文化をめぐる話 思いつくまま

〈その8>明治の仏像模造と修理 【模造編】

(1/9)



【目次】


1.はじめに

2.明治の仏像模造〜模造された名品仏像

3.模造制作のいきさつを振り返る

(1)仏像模造に至るまで
(2)岡倉天心による仏像模造事業の企画
(3)仏像模造制作の推進と途絶
(4)その後の模造制作

4.仏像模造に携わった人々

(1)竹内 久一
(2)森川 杜園
(3)山田 鬼斎

5.昭和・戦後の仏像模造

6.仏像模造についてふれた本

(1)模造作品展覧会図録・模造事業の解説論考
(2)仏像模造に携わった人々についての本・論考



1.はじめに


東京国立博物館の2階・第一室の展示フロアー。

薬師寺・東院堂の聖観音立像が展示されています。(2014年7月現在)




東京国立博物館に展示されている薬師寺東院堂・聖観音像の模造



「エッ! あの薬師寺の国宝・聖観音像が東博に展示されているの??」

結構多くの人が、その前に立って見つめています。
近づいてよく見ると、なんと展示されている像は、本物ではなく「模造」です。

「なーんだ!模造か!」

人びとは、そんな言葉を交わしながら、その場を去っていきます。

展示されている像は、模造とは言いながら、そう云われてみないと、本物だと信じてしまいそうな、見紛うばかりの見事な出来です。

この模像、東京美術学校の山田鬼斎が、明治26年(1893)に制作したものです。
ブロンズではなくて、木彫で造られています。
なんと、木彫技法で、金銅仏である原像の表現を克明に写しており、その高い造形精神まで併せて写し取っているようです。







山田鬼斎作、薬師寺東院堂・聖観音模造(木彫・明治26年制作)



「こんな精巧な模造、明治時代にどうしてつくられたのでしょうか?」

「この東院堂・聖観音像のほかにも、いくつも模像がつくられたのでしょうか?」

実は、明治20年代に、このような模造が8体制作されていたのでした。

東京美術学校の竹内久一、山田鬼斎等の手になるものです。
制作された模像は、当時の、東京帝国博物館に展示されていたのでした。
当時、まだまだ貧弱だった帝国博物館の展示品を充実させ、日本美術の沿革を通覧できるために、時代の名品を模造し、展示することが企画されたのでした。



話は変わりますが、こんな古写真をご覧になった方もいらっしゃると思います。



腕が破損した興福寺・阿修羅像(明治35年以前・工藤精華撮影写真)



六臂の手がかなり破損して折れて亡くなった興福寺・阿修羅像の古写真です。
明治期に奈良の美術写真師・工藤精華の撮影したものです。
阿修羅像は、当時このような無残な姿をしていたのでした。

この阿修羅像の欠失した手が新補されたのは、明治35年(1902)頃のことです。
明治36〜37年(1903〜4)に、興福寺の諸仏像の修理が行われ、この時、阿修羅像も現在の姿に修復されたのです。



現在の興福寺・阿修羅像



明治30年(1897)には、古社寺保存法が成立し、国庫補助よる文化財の保存のための修理修復事業が行われることとなりました。

まもなく、奈良の重要古建築、古仏像の修理、修復がスタートします。
古建築の修理は、明治31年(1898)の新薬師寺金堂の解体修理を皮切りに、続々実施されます。
この奈良の古建築修理に携わったのは、関野貞です。

奈良の仏像の修理、修復がはじめられたのは、明治34年(1901)のことでした。
東大寺法華堂の諸仏の修理、修復からスタートしています。
仏像修理を手掛けたのは、日本美術院の新納忠之介、菅原大三郎等でありました。

その後、現在に至るまで、数えきれない程の国宝・重文級の仏像が、修理修復されてきました。
この修理修復を、100年以上にわたって担ってきたのが、新納忠之介が初代の代表となった、今の美術院国宝修理所なのです。


明治期における仏像・仏画の摸造・模写、仏像の修理修復について、いつ頃、どのようなものが行われたのかを振り返るため、主要なトピックス年表を作ってみました。






これをご覧いただければ、

模造・模写は、主として明治20年代から、

修理・修復は、主として明治30年代から、

行われているのが見て取れます。


明治初期には、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れ、数多くの仏像が打ち捨てられるという時期がありました。
また、欧化、西洋崇拝に風潮の中、日本古来の美術工芸品が無価値のように扱われました。

ようやく、明治20年代に入ると、識者には、「日本の仏像」が優れた美術作品と認識されはじめるようになってきます。

そして、具体的な動きとして、

・日本美術の啓蒙、理解のための、博物館での模造仏像の展示

・文化財保存のための、仏像の修理修復

などが、始められたことがわかります。

美術品への理解と普及、文化財の保存保護への先駆的事業といえる、この二つの事業を推進、牽引したのは、いかなる人物によるものだったのでしょうか?

岡倉天心
その立役者は、ご存じのとおり「岡倉天心」です。

岡倉天心の功績、業績は、多岐にわたっていますが、

「我が国の古美術の保存、保護に尽力したこと」

は、仏教美術愛好家にとっては、特筆すべき大きな業績であることは、云うまでもありません。




今回は、

「名品仏像の模像制作展示と、仏像の修理修復」

という二つの事業について、振り返ってみたいと思います。

「これらの事業は、どのように進められたのでしょうか?
どのような人々が、携わったのでしょうか?」


先ずは、「仏像の模造制作と展示事業」について、たどってみたいと思います。


 


       

inserted by FC2 system