埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第百九十五回)

   第三十話 近代奈良と古寺・古文化をめぐる話 思いつくまま

〈その7>奈良の宿あれこれ

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【目次】

はじめに

1. 奈良の宿「日吉館」

(1) 日吉館の思い出
(2) 単行本「奈良の宿・日吉館」
(3) 日吉館の歴史と、ゆかりの人々
・日吉館、その生い立ち
・日吉館を愛し、育てた会津八一
・日吉館のオバサン・田村きよのさんと、夫・寅造さん
・日吉館を愛した学者、文化人たち
・日吉館を愛した若者たち
・日吉館の廃業と、その後
(4)日吉館について書かれた本

2.奈良随一の老舗料亭旅館「菊水楼」

(1)菊水楼の思い出
(2)明治時代の奈良の名旅館
(3)菊水楼の歴史と現在
(4)菊水楼、対山楼について書かれた本

3.奈良の迎賓館「奈良ホテル」

(1)随筆・小説のなかの「奈良ホテル」
(2)奈良ホテルを訪れた賓客
(3)奈良ホテルの歴史をたどる
(4)奈良ホテルについて書かれた本




2.奈良随一の老舗料亭旅館「菊水楼」


「菊水楼」は、明治時代以来、奈良の地を代表する、老舗料亭旅館でありました。

現在も、興福寺の南、猿沢の池の東に在り、お寺の塔頭かと見紛うような外観で、見るからに堂々たる風格のある風情を見せています。



菊水楼・外観


昭和年代ぐらいまでは、大変な格式で、当然ながら「一見さん」は入れない、超一流の料亭旅館でありました。
昔は、「菊水楼」に出入りできるようになると、関西・地元の名士の一員に仲間入りすることが出来たと云われていたそうです。
関西政財界の宴席が開かれたり、東京からの上流の賓客が泊ったのだと思います。

先に紹介した、
「日吉館」が、
奈良を愛する学者や文士などの文化サロン的旅館として、近代奈良の歴史と文化をたどるうえで、欠くことのできない「奈良の宿」
であるとしたら、

「菊水楼」は、
奈良の官僚や経済人、趣味人などが馴染にした格式ある高級料亭として、奈良の最上級の和風旅館として、近代奈良の歴史と共にあった「奈良の宿」
と云って良いのだと思います。


そこで、近代奈良の料亭文化、高級旅館を象徴する「菊水楼」の話を、採り上げてみたいと思います。



(1)菊水楼の思い出


私が、「菊水楼」という料亭旅館が奈良に在るのを知ったのは、昭和50年代の後半、30歳を少し過ぎた頃ではなかったでしょうか。
学生時代は、奈良が好きと云っても、高級旅館などは縁のない世界でもあり、関心もありませんでした。

妻と奈良に出かけて、ビジネスホテルに泊まった折のことです。
東向き通りの工芸品の店で、ちょっと買い物をして、お店の人と、気軽な会話を交わしていました。

こんな話でした。

「奈良には、美味しいものが食べられる、気の利いた店がなかなかないですね。」

「そうですねん。観光客相手の食堂みたいなところは結構ありますけど、それなりに美味しゅうてゆっくりできるような店は、まあ、奈良ではありまへんな。」

「そうですか。この近くで、食事が美味い良い店、ご存じないですか?
どこか、教えてくださいよ。」

「ウーン、そやったら、この近くでは『キクスイ』ぐらいしかありまへんな。
あそこやったら、まあまあやと思いますけど。」

「『キクスイ?』、どの辺にあるんですか?」

「この先、三条通を左へ曲がりはって、猿沢の池を過ぎたら、直ぐに右側にありますわ。」

こんな会話で、教えられて、「キクスイ」がどういう字を書くのかもよく判らずに、「菊水楼」へと向かったのです。

菊水楼入り口の門
妻と二人で、「菊水楼」の前まで来て、びっくりしてしまいました。

お寺の門の様な、立派な冠木門がデーンと構えていて、「菊水の家紋」が染め抜かれた暖簾がうやうやしく掲げられています。
「菊水楼」と墨書きされた、貫録十分の大きな立て看板がかかっていました。

物凄い門構えで、
「これは、来るところ間違えた!」
と、即座に思いました。

ただ、工芸品店の方が、
「予約なしでも、食事できますよ」
と、気軽におっしゃっていたので、ちょっと足がすくんでビビりながらも、勇を鼓舞して暖簾をくぐったのでした。

門からちょっと歩いて玄関まで辿りつくと、これまたびっくり。
お寺の玄関の様な、見事な入母屋破風のエントランスで、またまた後ずさり、という感じです。



菊水楼の立派な玄関



下足番の半被姿のオジサンが、玄関番をされていたように思います。
「二人で食事だけなのですけど。」
とお迎えの方に恐る恐る話すと、
「どうぞ、どうぞ」
と、和食レストランの個室の部屋の方に通してもらいました。

簡単な懐石料理を食べたのですが、流石の美味で、器や盛り付けもこれまた結構、

「奈良でも、こんなに贅沢な風情で、美味いものが食べられるんだ。」

「こんな、すごい格式の旅館に泊ったら、どのくらいかかるんだろう?」

と、妻と話した記憶が残っています。

 

菊水楼の和食レストランと懐石料理



こうして、私は「菊水楼」という料亭旅館の存在を知ったのです。

後で知ったのですが、「菊水楼」は、そもそも「一見の客は入れない」格式ある料亭であったのだそうです。
昭和50年代頃からは、時代の流れの中で、大衆化路線をとらざるを得なくなり、一見客もOKにして、リーズナブルな値段で食事を出来るような施設対応としたということでした。
私が「菊水楼」に入ったのは、ちょうどその頃ということになります。

この時、「菊水楼」というのは、ものすごい老舗料亭旅館なのだなあ、と思いました。
建物は、破格に立派で凝りに凝った建築、どう見ても文化財級です。
置かれている調度品や装飾も、なかなかに奥ゆかしく贅を尽くしたもので、並みのものではなかったのです。

「これは、一般人、庶民が、来れるような処ではないな。」

率直な印象でした。


調べてみたら、昭和50年代の当時でも、菊水楼で宴会をすると最低でも5万円ということで、ここに泊ると二人で10万円ではおさまらないということでした。

そんなわけで、その後、私は一度も菊水楼に泊ったことはありません。
食事のうまさに味をしめて、その後は、何度かここで夕食だけ食べたり、また隣接の西洋料理「レストラン菊水」に立ち寄るようにはなりました。

菊水楼の雰囲気を描写するのは、泊ったことのない私には難しいのですが、ミシュランガイド(2012版)には、このように紹介されています。

「思わず足を止めさせるほどの重厚な存在感を示す『菊水楼』。
創業は1891(明治24)年、2000年に登録有形文化財となった。

ロビーでは東郷平八郎による「水菊如」の書が客を迎える。
格天井、鶯張りの廊下、釘隠しなどの意匠、床柱に竹を用いた「竹の間」、牡丹の大屏風が飾られた「ぼたんの間」。
各室の設(しつら)えや、調度は興味深い。

歴史ある旅館ならではの『大切に守られてきた古さ』に身を置くのも良いだろう。」

この文章で、菊水楼のイメージを想像してもらえばと思います。

菊水楼の玄関や部屋の写真を、いくつか載せておきますので、老舗料亭旅館「菊水楼」の雰囲気をご覧いただければと思います。



菊水楼・玄関




菊水の意匠の玄関天井




菊水楼・牡丹の間




菊水楼・春日の間




菊水楼の舞台



泊ったこともないのに、「奈良の老舗料亭旅館・菊水楼」といった話を書くのは、おこがましき限りなのですが、

ものの本に書かれた話を継ぎはぎして、

「菊水楼の生い立ち、歴史、そして現在」

をたどっていきたいと思います。


 


       

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