埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第百八十四回)

   第二十九話 近代奈良と古寺・古文化をめぐる話 思いつくまま

〈その6>奈良の仏像盗難ものがたり

(6/10)


【目次】


はじめに

1. 各地の主な仏像盗難事件

2. 奈良の仏像盗難事件あれこれ

(1) 法隆寺の仏像盗難

・パリで発見された金堂阿弥陀三尊の脇侍金銅仏
・法隆寺の仏像盗難事件をたどって
・法隆寺の仏像盗難についての本

(2) 新薬師寺・香薬師如来像の盗難

・失われた香薬師像を偲んで
・香薬師像盗難事件を振り返る
・その後の香薬師像あれこれ

(3) 東大寺・三月堂の宝冠化仏の盗難事件

・宝冠化仏盗難事件の発生
・宝冠化仏の発見・回収と犯人逮捕
・三月堂宝冠化仏盗難事件についての本

(4) 正倉院宝物の盗難事件

・正倉院の宝物盗難事件について書かれた本

(5) その他の奈良の仏像・文化財盗難事件をたどって



【その後の香薬師像あれこれ】


このようにして、姿を消してしまい、今はもうその美しい姿とあいまみえることの出来なくなってしまった香薬師像であるが、その模像が残されている。
我々は、この模像を拝することにより、香薬師像の美しい姿を偲ぶことができる。

模像が作られた経緯は、次のとおり。

実は、この香薬師像は、明治時代の盗難に遭ったのち、石膏型がとられ新薬師寺に保管されていた。

この石膏型は、飛鳥園の小川晴暘がとったものだそうで、香薬師像が盗難に遭った時に、小川晴暘は、

「香薬師は、私が箔ぬきしてありますから、複製で原型を偲ぶことが出来るかもしれません。」

と、語っていたそうだ。

香薬師が行方知れずになってしまい、悲嘆に暮れていた福岡住職を見るに見かねて、本寺・東大寺の上司海雲師は、文藝春秋社の社長・佐々木茂索氏に相談する。
佐々木氏もこれに同情し、昭和25年(1950)に、新薬師寺に残されていた石膏型をもとに、三体の模像を鋳造した。
模造鋳造と云えども、本物の香薬師像からとった石膏型を用いて鋳造されたものであるので、大変精巧な作で、よく当初の面影を伝え、微笑をたたえた童顔の面相、薄い衣を透かして体躯の抑揚がたくみに表現されている。
本物を拝しているのと変わらぬほどに、その美しさを鑑賞することができる像である。

鋳造された三体は、一体は新薬師寺に寄贈され、一体は国立博物館に、もう一体は佐々木家に保管されることになった。

佐々木家の模像は、佐佐木茂索氏の27回忌に菩提寺である鎌倉・東慶寺に寄贈された。

香薬師像模像が祀られている新薬師寺・香薬師堂
この模像、新薬師寺のものは香薬師堂に祀られており、拝することは出来なくなっている。

東慶寺に寄贈されたものは、東慶寺の仏像特別展(直近の予定は2014年2〜4月)の時に展示されるので、その折、観ることができる。

また、近年、新薬師寺では、本堂に合成樹脂製の香薬師像模像が安置されており、この模像はいつでも拝することができるようになっている。


   
東慶寺所蔵・香薬師像模像


新薬師寺香薬師像の盗難事件の物語も、そろそろ幕としたいが、最後に、「香薬師像盗難事件」を題材にしたミステリーをご紹介しておきたい。


「平城山を越えた女」と題する内田康夫の推理小説だ。

「平城山を越えた女」 内田康夫著 (H2) 講談社刊 【317P】 1300円


ルポライターの名探偵「浅見光彦」で知られる、内田康夫の推理小説シリーズは皆さんも1〜2冊は読まれたことがあることだろう。
「平城山を越えた女」は、このシリーズの「香薬師像盗難事件」を舞台回しにしたものだ。
お読みになった方も多いのかもしれない。

このミステリーのなかでの「香薬師像盗難事件の真実」というものは、全くのフィクションで何の根拠もない作り話のだろうが、ちょっと面白いので、このミステリーのあらすじをご紹介しておこう。

主人公浅見光彦は、「奈良の宿・日吉館がなくなってしなう」という記事の取材で奈良を訪れる。
その時、浄瑠璃寺近くの谷で若い女性の死体が見つかる。
浅見はこの事件に巻き込まれて、美術全集の編集で奈良を訪れていた女性(阿部美果)と出会い、二人でこの事件の真相に迫っていく。

阿部美果が「香薬師を見せてやろう」と云う男に連れ去られそうになる出来事もあり、浅見は、この殺人事件に昔の「香薬師盗難事件」が絡んでいると推理する。

関係者にひたひたと迫っていった処、「香薬師盗難の真実」が打ち明けられる。
その話はこのようなものであった。

太平洋戦争のさなかの昭和18年、学徒動員をひかえた学生の5人友達は、若き日の思い出にと奈良を訪ね、日吉館に泊まる。
そして、彼らは、何とあこがれの香薬師像を盗み出す。
深夜に新薬師寺に忍び込み、鍵のかかった扉の枠全体を、釘をゆるめて外して、盗み出したのであった。
首謀者は、現在、大手商社の社長の地位にある男(橋口)で、橋口は香薬師像に惑溺していた。

戦後、数十年経ち、高い社会的地位を得た橋口は、秋篠寺の近くに別荘をもっており、そこに香薬師像を隠し持っていた。
香薬師像盗み出しに、共に手を染めた学友を戦後に殺して、自らのものにしたものであった。
橋口の香薬師への惑溺は、異常偏愛性格的なものがあり、その顔に似た容貌の若い女性を偏愛する癖をもっていた。
殺された女性はそうした容貌で、橋口の愛人となっていたが、これをとがめた橋口の娘が、別荘で愛人の女性を誤って殺してしまう。
この殺人を隠ぺいするために、死体を浄瑠璃寺近くの谷に捨て、様々なアリバイトリックを用いて、犯罪を隠そうとしていたのであった。

この事件を嗅ぎ付けた社内の橋口反対派や、総会屋などが絡んで登場するなど、いつもながらのサスペンス&ミステリーの展開となっている。

ミステリーとしては、ちょっと物足りなく無理があり、今一歩の出来なのかなと思うが、昔の日吉館の話や、香薬師の話が、あちこちに登場するので、奈良好きには、ちょっと面白い。
気楽に愉しく読めるので、まだの方には一度お読みになってみることをお勧めしたい。


戦後、香薬師像は
「南大和の農家の土蔵の壁の中に塗り込められている」
という風評が立ったこともある。

香薬師像は、未だに何処かに隠されているのではないか?
愛好者に秘蔵されているのではないか?

そんな、願望のようなものが、まだまだ愛好者の思いのなかには残っており、内田康彦に「香薬師盗難事件」を題材にしたミステリーを書かせる動機になったのではないのだろうか。



 


       

inserted by FC2 system