埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第百六十一回)

   第二十七話 近代奈良と古寺・古文化をめぐる話 思いつくまま

〈その4>奈良の仏像写真家たちと、その先駆者

(6-10)


【目次】


はじめに

1.仏像写真の先駆者たち

・横山松三郎と古社寺・仏像写真
・仏像美術写真の始まり〜松崎晋二
・明治の写真家の最重鎮〜小川一眞
・仏像写真の先駆者たちに関する本

2.奈良の仏像写真家たち

(1)精華苑 工藤利三郎

・私の工藤精華についての思い出
・工藤精華・人物伝
・工藤精華についてふれた本

(2)飛鳥園 小川晴暘

・小川晴暘・人物伝
・その後の「飛鳥園」
・小川晴暘と飛鳥園についての本

(3)松岡 光夢

(4)入江泰吉

・入江泰吉・人物伝
・入江泰吉の写真集、著作

(5)佐保山 堯海

(6)鹿鳴荘 永野太造

(7)井上 博道




【小川晴暘・人物伝】

小川晴暘は、明治27年(1894)、兵庫県姫路市立野町で生まれた。
本名は、小川晴二。

心臓弁膜症のため病弱であった小川は、親戚の日野写真館で仕事をしていたが、健康も回復し、明治43年、16歳で上京する。
東京では、当時一流の写真家として知られた丸木利陽の写真館に入門、やがて実力を発揮し、明治天皇御真影調製掛主任を務めた。

一方、小川は、予てから画家を志しており、太平洋洋画会研究所にて洋画を学んでいたが、徴兵検査を機に丸木写真館を辞める。
文展入選「雪解けの頃」
丸木は小川の実力を惜しみ、自らの名・利陽から「陽」の字をもらうが、小川はこれを「暘」に直して、以来「晴暘」と名乗るようになった。

その後、画家修業に専念、弘前で描いた「雪解けの頃」が、大正7年(1918)文展に入選する。
小川晴暘、25歳の事であった。

この文展入選祝いに、京都帝大の荒田数馬、山内義男に招かれて、三人で奈良を訪れる。
小川は、荒田と入営時代知己となり、その後交友が続いていた。
山内義男は、フランス文学者として著名となった人物。
奈良では、新薬師寺、東大寺、興福寺、博物館などを訪れ、数多くの古仏に出会い、小川は大変な感銘を受ける。
この時の、古都奈良と仏像への感動が、その後、小川に奈良住まいをさせることになる。

程なく、小川は写真の才をかわれて朝日新聞社から入社の誘いを受ける。
小川は、大阪本社勤務を希望し、大正8年3月からは奈良に下宿して大阪に通勤する。

最初の下宿は、高畑にあったが、間もなく登大路町の下宿に移り住む。
この転居が、小川にとっての人生の一大転機になるのであった。
この下宿の女主人、小暮久子と大正10年(1918)3月に結ばれ、結婚式を挙げることになるのである。
小川28歳、久子37歳であった。
この下宿となった小暮宅が、現在も盛業中の「飛鳥園」のある場所である。


そして、間もなく、第二の人生の転機が訪れる。
会津八一との出会いである。

小川は、新聞社では写真記者であったが、画家への志を抱いて、奈良の寺や仏像を描くなどの修業に励んでいた。
大正10年10月、登大路町の小川宅に、会津八一が訪れる。
自宅のウインドウに、小川が撮影した奈良の石仏の写真が飾られていたのが、会津の眼にとまったのだった。
ご存じのとおり、歌人であり美術史学者としても高名な会津八一である。

会津はこの石仏写真を見て、

「石仏をこんなに味わい深く撮った写真は見たことがない、写真が生きている」

と、呟いたという。

翌年、会津は、小川を伴い奈良の石仏の写真撮影に赴く。
春日奥山の、夕日観音、首切り地蔵、穴仏、地獄谷石仏などを撮影したようだ。
こうした会津との出会いと交友により、小川の受けた影響の大きさには計り知れないものがあり、小川を奈良美術の魅力に没入させていくことになる。
また、撮影した古美術写真の魅力を称讃されるほどに、画家の道を進みたいという大志との間で、心揺れ動くこととなる。

  
春日奥山石仏の会津八一              会津八一と小川晴暘

会津は小川に対し、このように語って、仏像写真家の途を歩むことを慫慂したと云う。

「写真は機械がすべてやってくれるようにみえるが、操作に創意工夫を加えるだけで、画布に向かうような創造、表現の苦しみを加えるわけにはいかぬものだろうか。

小川晴暘 百済観音像手部
小川君が、本来は画家だと知ってうれしくなった。
絵に向かうような気持で、奈良に住んでいる地の利を活かして、古美術の撮影に専念してくれると素晴らしいと思う。
小川君の持つ詩心を、仏像に生かして欲しい。」

小川は、会津の薦めにも触発され、この年・大正11年、朝日新聞社を辞し、仏像などの古美術写真を専門とする「飛鳥園」を自宅で創業する。

「飛鳥園」の名は、我が国仏像の最初の起源が飛鳥時代を出発点としていることに因んで名づけられたものだ。

撮影機材が並べられた飛鳥園
それからは、夫婦二人三脚で、奈良の古寺の仏像の写真撮影の許可と協力をもらうのに奔走するなどして、仏像写真、古美術写真の撮影に、精力的に取り組む。
「飛鳥園」にて、その写真を販売した。
小川の美しい仏像写真は、奈良を訪れる人に飛ぶように売れた。
飛鳥園の写真が、大変な人気を博し、人々から圧倒的な支持を得ることになるのは、先に記したとおり。

古美術写真「飛鳥園」は、まさに盛業となる。
そして、「飛鳥園、小川晴暘撮影、仏教美術写真展」が、昭和2年(1927)、大阪白木屋で開催されたのをはじめ、東京、九州など各地で開催されるまでに至った。


また一方で、さまざまな研究者との交流も深まっていく。

浜田青陵、天沼俊一、源豊宗等の美術史・建築史研究者も飛鳥園を訪れるようになり、また会津門下の安藤更生、板橋倫行も飛鳥園に出入りするようになる。
こうしたなかで、飛鳥園・小川晴暘は、古美術写真の世界だけではなく、仏教美術史の世界へもその関心、活動分野を拡げてゆくことになる。
飛鳥園では、写真集をはじめとした美術出版や、研究誌の主宰発刊を、新たな事業分野として行うようになるのである。


飛鳥園の出版関係活動について、少々ふれておきたい。

「仏教美術」創刊号と第12冊
大正13年(1923)には、古美術研究の季刊誌「仏教美術」を創刊する。
この編集発行には、源豊宗、小島貞三があたり、当代の一流の仏教美術研究誌として知られるようになる。
飛鳥園の「仏教美術」は、昭和4年の第12冊まで発刊される。
その後は、事情があり、発行元を変えて、京都で源豊宗の主宰により継続され、昭和10年の第20冊まで刊行された。


同じく、大正13年には、飛鳥園発刊で、奈良美術研究会編・小川晴暘撮影の「室生寺大観」を出版している。
これは、前年に会津八一、安藤更生、板橋倫行と共に、1週間にわたって室生寺の仏像、建築などを小川が撮影したものを、出版に漕ぎ付けたものであった。

その後も豪華な写真大観類、時代別に多数の写真図版を掲載した「日本美術史資料」などの大型写真集を刊行するほか、
天沼俊一著「日本建築史要」安藤更生著「三月堂」「美術史上の奈良博物館」といった研究書、解説書も出版した。

また、昭和4年には、新たに仏教美術研究誌「東洋美術」を創刊している。
これまでの「仏教美術」の後継誌として、安藤更生、板橋倫行などを編集担当として発刊された。
「東洋美術」は、昭和12年の第25冊まで発刊され、特集号9冊を加えると、合計34冊が発行された。


「東洋美術」創刊号と第25冊

これらの出版は、決して採算の合うものではなかった。
写真事業の収益をつぎ込むことによって、なんとか出版継続されたようである。
こうしてみると、小川は写真家と云うよりも、奈良発信の仏教美術の伝道者、啓蒙家というふうにも思えてくる。
小川晴暘という人物が、写真家の域を超えて、日本美術史の発展と啓蒙に尽力した功績には、誠に大きなものがあると云えよう。


こうしたなか、戦時色によって「東洋美術」を廃刊した小川は、中国、東南アジアの仏跡の撮影に挑む。

雲岡石窟の小川晴暘
昭和14年と16年には、中国雲崗石窟の石仏群の撮影と取材を敢行。

続く、18年・19年には、アンコールワットやボロブドールなどの撮影取材を行った。

そして、出版事情の悪化した戦時の中、雲崗石窟の研究成果を撮影写真と自らの研究成果をまとめた「大同雲崗の石窟」を、昭和19年12月、日光書院から刊行する。

部数1500部、B5版、図版120枚、解説240ページに及ぶ本格的な写真集であり研究書であったが、空襲でそのほとんどが倉庫で焼失してしまい、残念ながら、ほとんど読者の眼にふれることがなかった。



  
小川晴暘 雲岡石窟・石仏

戦後は、「飛鳥園」の跡を継いだ三男・光三氏の後見や、各地での講演、写生旅行などを楽しんだが、昭和35年(1960)、持病の心臓疾患にて亡くなった。

66歳であった。



【その後の「飛鳥園」】

小川晴暘には、三人の男兄弟の子供がいた。

小川は、

「長男・暘尊には写真をやらせます。次男・光暘には古美術学者。そして三男・光三には絵をやらせます。」

と、折々周囲に語っていたそうだ。

現在、飛鳥園を継いで、美術写真家として活躍しているのは、三男・光三氏だ。

長男・暘尊は、昭和20年に早逝。
次男・光暘は美術史学者となり、同志社大学教授の職にあって、多くの著作を残した。(1995没)
光三氏は、父の意を受け日本画・洋画を志し青年期を過ごしたが、長男・暘尊の逝去もあり、昭和25年(1950)、父・晴暘の後を受けて飛鳥園を引き継ぎ、古美術写真家としての道を進んだ。


光三氏の写真も、父・晴暘の仏像写真の魅力を受け継いだもので、仏像それぞれの美しさと魅力を存分に引き出した、甘美で魅惑的な写真だ。

  

光三氏の美術写真集や著作も数多いが、なかでも「魅惑の仏像」全28巻(毎日新聞社刊)は、光三氏の仏像写真の魅力が存分に楽しめる写真集で、今でも多くの人に親しまれている。

また、飛鳥園出身の仏像写真家としては、奈良博写真室の矢沢邑一氏、五味義臣氏、京博の金井杜道氏などを輩出している。


「魅惑の仏像」〜小川光三写真


現在の「飛鳥園」は、皆さんよくご存じのとおり、大変モダンで洒落た建物で、サロンのような雰囲気。
中に入ると、美しい仏像写真が沢山飾られ、販売されているほか、ティーガーデンもある。折々、画家の絵画展や仏像講座なども開かれている。
用事がなくても、つい入って観てみたい魅力的な文化サロンのような存在だ。
これからも、奈良の文化的シンボルとして、あり続けてほしいと思うばかりである。

  


現在の「飛鳥園」の様子



【小川晴暘と飛鳥園についての本】

ここで、小川晴暘と飛鳥園についての本について、紹介しておきたい。

小川晴暘の写真集や著作、飛鳥園発行の美術出版物については、全著作を網羅した一覧を記したものを見つけることが出来なかった。
本文でふれたものや、これから紹介する本以外にも、出版物があると思われるが、ここでは我が家の書架にある本を紹介するということにいたしたい。


まずは、飛鳥園発刊の本から。

なんといっても、美術研究誌「仏教美術」12冊と「東洋美術」34冊が、飛鳥園発刊の出版物として特筆すべきものだが、先に内容についてふれたので、ここでは採り上げないでおきたい。

「三月堂」 安藤更生著 (S2) 飛鳥園刊 【104P】 1.8円
「美術史上の奈良博物館」 安藤更生著 (S4) 飛鳥園刊 2.8円

  

この2冊は、飛鳥園発刊で企画された、「仏教美術叢書」の第1巻・2巻にあたっている。
一般概説書のワンランク上の研究的側面を含んだ解説書として発刊された。
共に、少壮の研究者である安藤更生の20歳代での執筆で、自身の考え方が舌鋒鋭く織り込まれている。

残念ながら、「仏教美術叢書」この後、何人かの執筆者による多くの続編が企画されていたが、この2冊限りの発刊で終わってしまった。
それには、安藤が本書の中で、学界の研究者、先人に、若気の至りか挑戦的な言辞を記したこともその一因となったようだ。

安藤は「三月堂」の序文で、

「流行に従って出る古美術の案内書は、腐木のうれから這い出る蟻の群にも比ぶべきだが、多くは杜撰極まりなき内容を持った売名、売文の徒の仕業である。・・・・・・
自分は、それらの本の著者たちよりも確実にして正直な知識を、云いかえれば優れた知識を探求している人間だ、ということを。
この言葉を低劣にして而も衒学的な彼らの著書に対すれば、決して僭越ではない。」

と書いた。

源豊宗編集の「仏教美術」が、昭和4年、飛鳥園から離れ、京都にて継続発刊されていくことになったのも、こうした会津門下の安藤等少壮研究者との関係が事情にあるように思われる。


「日本美術史資料」 美術資料刊行会編 (S10〜12) 飛鳥園刊 【解説編・図版編共に各15冊】 7.4円

日本美術史の概説と写真図版を併せた全15冊の資料・図版集。

先史・原始時代から始まり、江戸時代までをカバーしている。
各冊、解説の小冊子と、16枚・32Pの美術写真図版で構成されている。

  



次に、小川晴暘自身の著作や写真集を紹介したい。

「上代の彫刻」 上野直昭・小川晴暘著 (S17) 朝日新聞社刊 【163P】 15円



上野直昭の「上代の彫刻」と題する解説文と、小川晴暘の仏像写真で構成された、A3版の大判の本。

飛鳥から天平に至る小川晴暘の仏像彫刻写真が、97ページにわたり掲載されている。

どの写真も、「小川晴暘と云えば・・・・の写真」という、定評を得た小川流の黒バックの美しい写真揃い。

小川晴暘の仏像写真の業績と美しさを振り返れる本としては、この本が最適だと思う。


「大同の石仏」 小川晴暘著 (S16) アルス社刊 【105P】 1.2円




アルス文化叢書14冊として発刊された小型本。



小川は、昭和16年(1931)2月、伊勢丹百貨店で「大同雲岡写真展」を開くが、この展覧会が機縁になって、雲岡石窟の紹介写真本として発刊された。



「大同雲岡の石窟」 小川晴暘著 (S19) 日光書院刊 【370P】 18円

小川晴暘が、昭和14年と16年に各2〜3ヶ月、中国雲崗石窟の石仏群の撮影と取材旅行の赴いた成果をまとめた本。


小川撮影の雲岡石窟写真図版120図と、240ページに及ぶ解説論文で構成されている。

この本は、写真家・小川の写真集というよりは、美術史研究家・小川の雲岡石窟の解説、研究論文の書といった方が、適切な本。
小川は、この本の発刊に大変に熱を入れ、その執筆に没頭していた。
小川にとっては、雲岡石窟について自ら研究し執筆に取り組んだ本の出版ということで、思い入れの大きな本であったと思われる。
ところがこの本、1500部印刷されたが、そのほとんどが倉庫に置かれたままで空襲で焼失してしまった。
一般に販売された部数は、極少部数となってしまったもので、小川にとってはまことに残念な思いであったろうと察せられる。

  



「日本文化図説」 小川晴暘編 (S21) 養徳社刊 【387P】 60円


日本美術史を通期で各時代別に解説した本。図版別冊子付き。

先に紹介した「日本美術史資料」解説編を一冊にアレンジしてまとめた本なのだろう。

概説書と云えばそれまでだが、各時代の建築や彫刻、絵画などの時代的特徴、時代の変化による形式の推移などが大変丁寧でわかりやすく解説されており、当時としては美術史の理解を一歩より深めるのに格好の解説書であったろうと思う。


「アジアの彫刻」 小川晴暘写真、小川光暘監修 (S43) 読売新聞社刊 【228P】 5000円


本書は、小川晴暘の撮影した仏像写真を、日本だけでなく中国、東南アジアのものも収録した大型写真集。

小川が、インド、インドネシア、カンボジアなどの仏像を撮影した写真が豊富に掲載されているのはこの本だけではないだろうか。
美術史学者になった次男・小川光暘の解説が付されている。
また、「父・晴暘と古美術写真」と題する4ページの小文が掲載されており、父親の業績や思い出話が綴られ、興味深い。


「雲岡の石窟」 小川晴暘著 (S53) 新潮社刊 【131P】 5500円



先に紹介した「大同雲岡の石窟」(日光書院刊)の小川撮影の写真図版を、写真集としてまとめた本。


「大同雲岡の石窟」(日光書院刊)が、ほとんど焼失して稀少本になっているが、小川晴暘の雲岡石窟撮影写真は、この本で楽しむことができる。



「小川晴暘の仏像」 毎日新聞社編 (H24) 毎日新聞社刊 【296P】  16800円

平成24年10月に出たばかりの最新刊。


この本は、まだ中味も見たことがない本で、どのような内容になっているのかわからないのだが、紹介だけしておきたい。
小川晴暘撮影写真の総集版のような写真集のようだ。
「大正から昭和の半ばにかけ、奈良・京都をはじめアジア諸国で撮り続けた仏像写真の代表作をまとめた豪華写真集」
と、パンフレットに記されている。



最後に、小川晴暘の伝記と、「飛鳥園」についての本を紹介したい。

「奈良飛鳥園」 島村利正著 (S55) 新潮社刊 【241P】 1100円

小川晴暘の伝記小説。

セミノンフィクションの小説だが、小川の業績や生涯を詳しく知ることができる。

この一冊を読めば、小川が仏像写真家として名声を得るまでの物語、また出版等古美術研究の世界での業績のほぼすべてを克明に知ることができると思う。
また、一人の人間の物語としても見事に描かれており、充実した小説である。

というのも、作者の島村利正は、若き頃、奈良「飛鳥園」で働いていた。
この本の中で登場する「杉村理一」という人物が、島村利正の本人の事。
島村は、家出同然の形で故郷を出奔、大正15年12月から昭和4年春まで、15歳から18歳にかけて飛鳥園で働いた。
この飛鳥園時代に、小川晴暘の薫陶を受け、志賀直哉、武者小路実篤、瀧井孝作の知遇を得、小説家の道を歩む。

小川晴暘への愛情あふれた小説で、是非一読をお勧め。


「奈良登大路町」 島村利正著 (S47) 新潮社刊 【218P】 700円


島村の短編小説集。

書名となっている「奈良登大路町」と題する短編が収録されている。
この短編は、奈良登大路町にある「飛鳥園」を訪れたラングトン・ウォーナーと小川晴暘、飛鳥園に勤めていた林啓介との交流を描いた小品。
「ウォーナー博士との静かな出会いを感動的に描出した」作品とリード文にある。
昭和初年の飛鳥園と奈良の有様が偲ばれる作品。


「飛鳥園仏像写真百選」 小川光三編集 (S55) 学生社刊 24000円
「続飛鳥園仏像写真百選」 小川光三編集 (S56) 学生社刊 24000円

そのまま額に入れて飾ることのできる飛鳥園の写真、100葉を納めた本。

いずれもカラー写真10葉、モノクロ写真90葉で構成されている。
各写真の写真撮影者が明記されていないが、カラー写真は小川光三、モノクロ写真は小川晴暘の撮影であろう。
飛鳥園の仏像写真を額に入れ鑑賞することをイメージして作られた本。

  


「小川晴暘と奈良飛鳥園のあゆみ」 飛鳥園編集 (H22) 奈良県万葉文化館刊 【120P】


小川晴暘没後50年を記念して、平成22年(2010)、奈良県万葉文化館で開催された展覧会の図録。

副題に「〜小川光三、金井杜道、若松保弘〜」とあり、小川晴暘の仏像写真のほかに、飛鳥園で育った写真家、後継者である三人の撮影写真も収録されている。
現代に至る「飛鳥園」のさまざまな写真を見ることができる。
小川晴暘の日記やスケッチなども収録されている。
「小川晴暘と奈良飛鳥園のあゆみ」年表付き。



 


       

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