はじめに
1.仏像写真の先駆者たち
・横山松三郎と古社寺・仏像写真
・仏像美術写真の始まり〜松崎晋二
・明治の写真家の最重鎮〜小川一眞
・仏像写真の先駆者たちに関する本
2.奈良の仏像写真家たち
(1)精華苑 工藤利三郎
・私の工藤精華についての思い出
・工藤精華・人物伝
・工藤精華についてふれた本
(2)飛鳥園 小川晴暘
・小川晴暘・人物伝
・その後の「飛鳥園」
・小川晴暘と飛鳥園についての本
(3)松岡 光夢
(4)入江泰吉
・入江泰吉・人物伝
・入江泰吉の写真集、著作
(5)佐保山 堯海
(6)鹿鳴荘 永野太造
(7)井上 博道
「古美術写真が、写真として鑑賞できるようになったのは、小川晴暘に始る。・・・・・
その時分はギリシア・ロオマの彫刻写真と云えば、黒バックが多かった。・・・・
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安藤更生
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ギリシャに負けない奈良彫刻を、私はこの黒バックの上に置き直してやろうと思いついた。私は小川さんに黒バック使うことを熱心に説いた。
最初小川さんは余り賛成でなく『白も黒も物に依りますよ』と笑っていたが、そして今から考へると小川さんの方が正しいのだが、何でもかんでも黒バックで説得した。・・・・・・・
これが飛鳥園写真の特色たる黒バックの由来記である。
この試みは成功した。旧式な乾燥無味な標本写真ばかり見せられていた人達は、はじめて黒バックで自国の彫刻が世界のレベルを抜いている事に気がついた。
小川晴暘の写真は甘さのある、味わいのこまやかな作品である。
実物を見ても気のつかないような美しさを、彼のレンズは巧みにキャッチして鑑賞家の眼に投げつけた。・・・・・・・・
小川晴暘の出現によって、古美術写真界は面目を一新した。
中宮寺・広隆寺のミロク、新薬師寺のバセツラ(もとメキラと呼んだ)は、飛ぶように歓迎された。・・・・・
新薬師寺のバセツラ大将の左横顔は、まつ暗なバックから両眼をむき出して、カッと口を開いた表情が印象的で、有名な写真だが、小川さんの話によると、怪我の功名で実は露出不足の原板に手を入れたらああ云う面白い効果になったのである。・・・・・
彼の作品の照明は、大同石仏を除いて殆ど全部、人工光線に頼っていない。
これは閃光電球などといふ便利なもののない時代で、堂内ではマグネシウムは焚けず、電線引込みの許可などは思いも寄らない。
せいぜい鏡の反射射位のもので、そういう制約の下であれだけの仕事をしたのだから偉いものである。」
「『日本美術史の組織は、奈良の飛鳥園主人の、種板修整の鉛筆の先で左右される。』
という諺が、今の学会の一部にある。
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東大寺大仏殿屋根上に坐す小川晴暘
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写真ほど正直なものはない。しかし同時に又、写真ほどその撮り方によって感じの異なるものもない。・・・・・・
極端に言うなら、写真師の好み次第で、どんな感じの物でも作り出せるのが写真である。」