埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第百二十四回)

  第二十三話 仏像を科学する本、技法についての本
  〈その6〉 〜仏像の素材と技法〜石で造られた仏像編〜


 「石仏」といわれると、皆さんは、どのような「石の仏」を思い浮かべるであろうか?
 「石仏はいいですね。田舎を旅していると、路傍に素朴な表情の石の仏様に出会ったりして、心洗われるような気持ちになります。」
 「苔むしたような石の野仏、村の辻に立つ石の地蔵さんに出会うと、心惹かれてしまって、石仏巡りが好きになったのですよ。」
 石仏の話題になると、このような話をする人が多い。

 石仏の持つ柔らかな温かみ、素朴さなどに、共感や心の安らぎを求め、石仏を愛する人が多いように思える。
 仏教美術の作品としての石仏というのではなく、「野の仏、路傍の仏」という石仏の魅力に惹かれるということなのだろう。

 あるいはまた、「石仏」というと、
 「何といっても、中国の石仏は、素晴らしいですよね。名品が沢山遺されていますからね。
 雲崗石窟、龍門石窟に行ったことがあるのですが、あの凄さには圧倒されましたよ。雲崗の露座大仏のすごい迫力や、龍門奉先寺洞の大盧舎那仏の美しさには、感動しましたよ。
 敦煌石窟も行ったし、五大石窟を制覇したいと思っているのですよ」
 こんな話題になることも多く、日本ではなく、中国や朝鮮の石仏の素晴らしさに惹かれる人も多い。
 
雲崗石窟露座大仏               龍門石窟奉先寺盧舎那仏  

 仏教美術の作品としての「日本の石仏」は、どうだろうか?
 「日本の仏像」とか「「日本の彫刻」」といった仏教彫刻史の本を紐解くと、石仏については、あまり採り上げられていないことが多い。
 間違いなく出てくるのは、臼杵石仏ぐらいと云ってもよいかもしれない。
 わが国の仏教彫刻史の主流は、金銅仏、塑像、乾漆像、木彫であった。
 石仏は、あくまで傍流、マイナーリーグといった感じで、仏像彫刻愛好家の関心も、少々薄いのが実情だ。

 それは、日本の石仏は、時の天皇や国家権力者により発願造立されたものは、ほとんど無く、また、東大寺や興福寺といった官の大寺に伝わることも、寺々の主尊として祀られることも、古い時代にはほとんどなかったことによるのであろう。


 現実に、日本の石仏を見てみると、彫刻作品としての素晴らしさ、出来の良さという意味では、金銅仏、塑像、乾漆像、木彫仏の第一級作品に、一歩も二歩も譲らざるを得ない。
 中国においては、敦煌、雲岡、龍門などの巨大石窟や、朝鮮では、仏国寺石窟庵の美麗な石造仏に代表されるように、国家事業としての造仏が石造で行なわれ、優れた芸術作品として大きく開花したことと対象的だ。

 谷口鉄雄は、こう語っている。

「仏教伝来以後の美術の主流は伽藍中心の仏教美術に移り、そこでは石造彫刻ではなく、木彫像や金銅像が支配的であった。石造彫刻を無視しても、日本彫刻史の発端と興隆を語るに少しも差し支えない。・・・・・・・・
とにかく、このようにして日本彫刻史の主流が木彫像や金銅像によって始まったことは、いきおい日本美術史の研究者をして石造美術の研究を視野の外に置かしめることになった。
日本美術史の中で、他の分野に比べて石仏や石造美術一般の研究が著しく立ち遅れている理由の一つはここにあるであろう。」(日本の石仏)

 このような故か、今日、現在においても、仏像彫刻愛好者と石仏・石造美術愛好者とは、それぞれゾーンが違うことが多いようだ。

 かく言う私も、どうも石仏にはなじみが薄く、造詣も浅いというのが本音。
 「石仏の素材と技法」などという、大それたテーマについて綴るというのは、おこがましいかぎりなのでありますが、「仏像の素材と技法」について順を追って採り上げてきた都合上、最後は「石仏」について採り上げるのを、避けて通るわけには行かない。
 底の浅い話になろうかとは思うが、よろしくお許し願いたい。


 


       

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