゙
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
埃
まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第百十八回)
第二十二話 仏像を科学する本、技法についての本
〈その5〉 仏像の素材と技法〜木で造られた仏像編(続編)〜
(2)奈良時代〜平安前期の木彫仏
【乾漆・塑像の心木】
奈良時代に入ると、乾漆像・塑像の時代に入る。
飛鳥白鳳期に行なわれた木彫も、中央では、ほとんど制作されなくなったのか、現存例がほとんど見られない。
|
【法隆寺食堂塑像・足先部】 |
初期の法隆寺食堂の塑像の心木はクスノキだが、乾漆像・塑像の心木には、原則的にはヒノキが使われている。
心木は、仏像の仏身等をかたちづくる材としてではなく、仏身の骨格材として扱われていたため、建築用材と同様にヒノキが用いられたのであろう。
|
【東大寺三月堂弁財天・塑像】 |
この時期、木彫技法が完全に廃れてしまったのかというと、そうでもない。
法隆寺食堂塑像は、足先の五指まで心木が彫刻されているし、東大寺三月堂弁才天塑像の八臂の袖は、塑土を盛らずに完全に木彫で仕上げられている。
また、木心乾漆像の心木も、あらかたの造形までしっかりと彫刻されており、構造も一木式のものや寄木式のものが見られる。
乾漆像・塑像の時代には、木彫は造像技法として主役の場にはいなかったが、内側から支える心木材として命脈を保ち、その技術は生き続けていたのであろ
う。
【一木彫の時代へ〜徹底した一木へのこだわり】
|
【唐招提寺伝衆宝王菩薩像】 |
平安初期の一木彫時代の到来を予言する、唐招提寺の木彫群。
奈良時代後期に、新たに登場した造形表現、木彫表現の仏像たちだ。
伝薬師如来像、伝衆宝王・獅子吼菩薩像などを拝していると、
「時代が変わる、芸術表現が革新される」
そんな大いなる息吹を、吹き付けられているような気持ちになる。
同じく奈良時代後期の大安寺木彫群、そして平安初期の神護寺薬師像、元興寺薬師像、法華寺十一面観音像などの一木彫の構造技法には、一つの共通点をみい
だすことができる。
それは、足元の蓮肉まで、それに連なる心棒まで、一木から彫り出しているということだ。
体躯や衣も、出来うる限り一木から彫り出し、手先やひるがえる衣などだけを、やむを得ず別材で矧ぎ付けている。
【唐招提寺講堂伝薬師如来立像】 【神護寺薬師如来立像】 【法華寺十一面観音立像】 下:蓮肉・心棒写真 下:蓮肉・心棒模式図(西川) 下:蓮肉・心棒写真
少々窮屈でも、技術的に面倒くさくても、「一木から彫り出す」ことに徹底してこだわり、執着しているのである。割り矧ぐことも一切ない。
私は、「蓮肉まで一木」と聞くと、「ひょっとして平安前期の仏像では?」と、眼が輝き、血が走る。
時代が下り平安中期以降になると、同じ一木彫でも、蓮肉は別材で、足柄(あしほぞ)で差し込んだり、頭躰部の一木材も根幹部だけになり、肩、腕、足先な
どまでが別材矧ぎになって行ったりする。
「一木から彫り出すこと」へのこだわりが薄れてくるのである。
彫刻し易さ、制作し易さのほうが、優先されていく。
この時代の「一木へのこだわり」を語るには、新薬師寺薬師如来坐像の特異な構造技法についての話を触れないわけには行かない。
大きく見開いた眼が、強烈なインパクトを与える。
はちきれるようなボリューム感,圧倒的な塊量感で眼前に迫ってくる。
翻波式衣文、渦文のノミ痕も深く鋭く、「これぞ平安初期彫刻」と言わしめる、迫力あふれる仏像だ。
【新薬師寺薬師如来坐像】
この薬師如来像は、かつて、膝前も含めその全容がヒノキの一木から丸々彫り出されたものと思われていた。
戦前の「新薬師寺大鏡」(S9刊)には、
「両腕の矧ぎ合わせを除くと、全部一木彫である」
と記されている。
像高191.5cm、膝張154.0cm、膝奥126.1cmの巨像である。これを丸々一木から彫り出すには、驚くべき巨木が必要である。
私も、学生時代(S40年代)この像を見上げながら、「完全一木像だ」という話を聞かされたときには、
「この像が彫り出せる木とは、どれほどものすごい巨樹だったのだろうか?直径2〜3メートルのヒノキの巨樹・老木が聳え立つ姿が、途方もなくイメージで
きなかった」
そんな記憶が残っている。
それでも、丸々一木と考えられていたのは、頭躰部も膝前部も「すべて縦に木目が通っていた」からであった。
膝前を別材にするときには、横木を使って矧ぎ合わせるのが、常識だったからある。
昭和50年に行なわれた修理調査で、
「この像は多数の材が寄せ合わせられ造られていること、さらにはヒノキ材ではなくてカヤ材であること」
が判明した。
ビックリの新発見であった。
頭躰部の根幹材のほか、膝前は不規則な9材、右腕は4材の矧ぎ付けで造られている。
木寄せ構造図を見れば、その様子が一目瞭然だ。
|
【新薬師寺薬師如来坐像】の木取りの 想定図と一木彫り出しの仮想イメージ 山崎隆之「仏像の秘密を読む」から |
さらに驚いたことには、それらの材のすべてが、縦木で矧ぎ付けられていたのであった。
木目に沿って削るのは楽だが、木目に直交したり逆らって削るのは大変難しい。それを承知で、膝前まで縦木にこだわっているのである。
この作者は、すべての材を縦木で矧ぎ合わせ、木目が頭から膝まできれいに縦に通るようにすることで、なんとしてでも、この大きな薬師如来像が、一本の巨
樹から彫り出されるように見せようとしているのである。
よほどのこだわりがあった、ということなのであろう。
これら数々の平安初期一木彫を見ていると、これ程までにでもと思うほどに「一木から彫り出すことへのこだわり」への執念を感じるのだ。
そこに、「神の依り代たる霊木、霊木化現の仏」という言葉が、二重写しになってくる。
|
カヤの霊木巨樹(埼玉・与野) |
即ち、
「神宿る木、仏の宿る木、そのような霊木から、その中に在まします神、仏の姿をそのままに彫り起こした像」
が、平安初期一木彫なのだからではないだろうか?
霊木に内在する霊気、精気といったものを、仏師が仏像という姿に顕したのである。
だからこそ、真の一木彫り出しの仏像でなければならなかったのだろう。
それが、平安初期一木彫の森厳、デモーニッシュ、マッシーブという強烈な魅力を発散する秘密となっているのではないだろうか。
そして、仏師たちにとって、「一木から彫り出すことへの徹底したこだわり」を、生み出したに違いない。
|
|
|
|
|