埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第百二回)

  第二十話 仏像を科学する本、技法についての本
  〈その3〉  仏像の素材と技法〜漆で造られた仏像編〜


 【20−4】

【天平時代の木屎漆について〜抹香漆とは?〜】

 「木屎漆、木屑漆、抹香漆」
 乾漆像について書かれた本を読んでいると、そのモデリングに使われる漆について、このような用語が折々顔を出してくる。
 どこがどう違うのだろうか?
 字面を追ってみると、なんとなくフィーリングで判るような気がするが、今ひとつ、はっきりしない。
 一般的にはこのように言われている。
 「天平時代は抹香漆が使われ、平安時代以降は木屑漆が使われている。
 抹香漆とは、キメの細かいもので、杉葉か松葉を粉にして漆とを混ぜ合わせたもの、木屑漆とは、キメの粗いもので、木挽粉と漆とを練り合わせたものをいう。」
 木屎漆という用語は、乾漆像のモデリングに使われる漆について、抹香漆と木屑漆とを併せて総称的に用いられており、天平時代の文書には「木屎」という言葉が出てくる。
 「一般論」でいわれるように、天平時代は抹香漆、平安時代は木屑漆というふうに断じて良いかどうかは、後にふれるように、議論、研究の余地があるようだ。
 用いられた材料がいかなるものであれ、天平盛期の脱乾漆のもののキメが大変細かく、時代が下がるにつれてやや粗く挽き粉的感じが出てくる。
 平安時代に入っての木心乾漆的な像(観心寺如意輪観音、神護寺五大虚空蔵など)になると、キメの粗いものが用いられている、というのは間違いない。

 しかし、この抹香漆というものがどのようにしてつくられたのかは、よくわからぬところがあるらしい。
 美術院で永年仏像修理に当たった辻本干也は、このように述べている。
  「天平期の乾漆像の盛り上げには抹香漆を使っていますね。茶色の安ものの線香がありますね。あの線香を造る材料なんです。あれの粗いところを使って、漆に 加えたのが抹香漆です。平安時代以降、乾漆像の盛り上げに使う漆をみると、ノコギリでヒノキを挽いたときに出る大鋸屑(おがくず)、あれに漆を混ぜた木屑 漆を使っていますね。・・・・・・
 この天平の抹香漆を復元しようと、いまの線香やさんで線香を買ってきて、それに漆を加えて使ってみても、うま く盛り上がらないのです。どうもいまの線香の材料ではない、もう一つなにかあるようなんですけれど、天平の抹香漆を見て、決め手になる材料はこれだという のがなかなか出せないんです。・・・・・・・これはこれからの研究課題だと思います。」(南都の匠 仏像再見)

 本間紀夫は、「木屎漆とは何か?」という問題について、このように記している。
 「ところが天平時代乾漆像のモデリングに用いられた木屎漆の木屎とは何であるのか、正確には現在でもわかっていない。現在ではおが屑、仏像では主として桧の挽き粉が用いられている。
  木屎に関しては諸説があるが、科学的実証が意外に難しく決め手にかけるのが現状といえよう。よく言われるのが天平の乾漆像は抹香漆で造られているという説 である。抹香とはいわゆる線香などの材料になる、あの抹香のことである。樒の葉と皮を乾かして臼で挽き粉末としたものであるが、安物は杉の葉を用いたりす る。・・・・・・・・この抹香粉を漆(麦漆)で練って用いたというのである。これは抹香漆で造られた奈良の土産品などの材質が非常に乾漆像の材質に似てい ることからそういわれるようになったと聞いている。おそらく明治以降、仏像の修理・模像に当たっていた人たちの間でいわれ始めた言葉であろうと推察され る。
 木屎を木屑と書いてあるものを、時々見かける。鋸の挽き屑を用いるから木屎ではなく木屑だという発想から出た文字だと思われ る。・・・・・・天平時代は木屎でつくった木屎漆を用いていたことが、木屎の字が当時すでに用いられていることからも知られる。」(天平彫刻の技法)

 そして「木屎」は何で出来ているのかについて多方面から考察を行っているが、現在のところ確たる結論は得られない、と述べている。


【脱乾漆像の心木構造について】

 脱乾漆像は、塑土と心棒が取り除かれた後に、漆・麻布の乾燥によって像が収縮して歪んでしまうことのないよう、像の内部に木を組んだ心木をいれる。
 この心木の構造は、どのようなものになっているのだろうか。

 心木構造が明らかになっている脱乾漆像の構造模式図を、出来るだけ転載しておきたい。
 
当麻寺 増長天像と心木構造模式図(美術院彫刻修理記録より転載)

    
興福寺 十大弟子舎利像と内部構造  東京藝大蔵     興福寺 八部衆乾婆像と内部構造 
  模式図(日本の美術・乾漆仏より)  十大弟子像心木   
模式図(同)            

   
三月堂 多聞天像と内部構造模式図(同) 三月堂 仁王像と内部構造模式図(南都の匠より転載)

  
三月堂 仁王像心木模式図       法隆寺夢殿 行信僧都像と内部構造模式図   
(南都の匠より転載)         (日本の美術・乾漆仏より転載)
       

  
法隆寺西円堂薬師如来像構造図(同)        唐招提寺盧遮那仏像
 
唐招提寺盧遮那仏像内部構造と模式図(天平彫刻の技法より転載)

 
唐招提寺 鑑真和上像と修理時写真(像底)

 主な脱乾漆像の心木構造は、写真等でここに掲載したとおりになっている。
 心木の構造は、立像と坐像の場合でその考え方に基本的な相違がある。
 立像は立てることを第一義として、坐像の場合は自重の分散を第一として考えられている。
 立像の場合は、立てるための2本の柱と、それに付したひずみ防止の何枚かの棚板がその構成であり、坐像の場合は、内壁に副わせ、縦横に木枠を組んで自重の分散とひずみの防止を図っている。

 個別の像の中で、特徴的なものを見てみたい。
 脱乾漆像の最古の白鳳期の製作と考えられる当麻寺四天王像は、面白い心木構造になっている。
 胴部に、薄い桐材の桶上の板のようなものをあてて、その上から乾漆層をつくりあげている。この方式は、その後継承されず、心木と棚板の構造とする方式に発展していったようだ。

 興福寺十大弟子の場合は、肩辺・腹辺・腰部・裾近くの四段に、棚状の板を置き、これを貫通して肩から脚まで届く左右2本の心木を立てている。さらに棚状の板の二段の中央に貫通する一本の心木が頭頂まで至り、太い釘で止められている。
 八部衆も基本的には同様の構造だか、阿修羅像は、その形姿から棚板のようなものは使われておらず、臨機応変な対応がされているようだ。



       

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