【人気の仏像や仏像の評価は、今も昔も変わらないのだろうか
〜仏像を見る眼はうつろうのか?】
ここにラインアップされた仏像を見ていると、ふと湧き上がってくる「疑問」があります。
「これらの仏像たちは、明治の頃から日本を代表する仏像、大人気の仏像とされていたのだろうか?」
「明治時代の評価の高い仏像、人気の仏像は、現代とは違っていたのではないだろうか?」
こんな、素朴な疑問です。
私の知っている限りでも、今、超人気の興福寺・阿修羅像や広隆寺・宝冠弥勒像は、明治時代には、それほど注目されていなかったようです。
藤原彫刻の代表選手、平等院・阿弥陀如来像も、明治の中頃には、高い評価はされていなかったようです。
実は、高校教科書掲載仏像リストの中で、青色に塗った仏像は、明治時代の主要な美術史書に採り上げが少ないもので、太字の仏像は、全く採り上げがありませんでした。
青色の仏像は13件ありますので、高校教科書掲載仏像の約半数が、明治時代には時代を代表する仏像とはされていなかったということなのかもしれません。
「仏像の評価」「人気や好み」は、明治時代から平成の今日までの百数十年余の流れの中で、きっと変化してる違いありません。
「仏像を見る眼」、すなわち「美のモノサシ」は、時代の流れの中で、うつろっているのだろうと思います。
芸術作品の評価や人気が、時代と共にうつろっているのは、今更言うまでもありません。
江戸絵画をみても、伊藤若冲をはじめ曽我蕭白、長澤芦雪など、奇想といわれる絵画の近年の人気沸騰ぶりは、驚くばかりです。
その昔、全く評価されていなかった作品や作家が、今では、誰もが知っている超有名美術作品ということは、世にいくらでもある話だと思います。
【明治時代から今日まで、近代仏像評価の変遷をたどってみたい】
そんなことを考えているうちに、
「仏像が彫刻作品として評価されるようになった明治時代から現代に至るまでの、仏像の評価、人気の変遷をたどってみたい。」
と思うようになりました。
仏像の評価や人気の変遷をたどることが出来たならば、そこから時代と共にうつろう「美の価値観、モノサシ」が読み取れそうな気がします。
そして、
「どうして仏像を見る眼のモノサシが、うつろい変遷していったのだろうか?」
という時代背景も見えてくるのではないでしょうか。
大変興味深いテーマだと思います。
そんな興味、関心で、この
「仏像を見る眼はうつろうのか?〜近代仏像評価の変遷をたどって〜」
を、綴ってみたいと思います。
このテーマについては、以前、「観仏日々帖」に、
と題して、明治時代の仏像評価の特質や変遷について、少しふれさせていただいたことがあります。
今回の連載では、これを踏み台にして、
「大正時代から現代までの仏像評価の変遷」や、
「現代の超有名人気仏像の評価の変遷」も、
併せてたどってみたいと思います。
そうすれば、近代仏像評価の変遷を、少しは俯瞰できそうな気がしています。
「そんなに、うまい具合に仏像評価の変遷をたどることが出来るのか?」
といわれると、少々、心持たないところです。
どれほど、このテーマの本質にアプローチできるのかわからないのですが、出来る範囲で、「近代仏像評価の変遷と、その要因、背景」について、考えてみたいと思います。
ちょっとマニアックなテーマで、皆さんのご興味がどれほどなのかわかりませんが、しばらく、お付き合いください。
【2018.11.3】