[目次]

1. はじめに

2. 宝物献納に至る経緯

3. 献納「四十八体仏」の概要

4. 金銅仏について

5. 「四十八体仏」の造形上の特質と時代についての考察

(1) 渡来系の像
(2) 止利派の像
(3) 準止利様の像
(4) 半跏像
(5) 童子形の像
(6) インド風の像
(7) 初唐系の像
(8) その他の像
(9) まとめと法隆寺現存像との関わり

6. 「四十八体仏」と太子信仰

7. おわりに

     
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【第5回〜5/7〜】

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(7)初唐系の像


@7C後半〜終わりに近づく頃、具体的には663年白村江の戦い、672年壬申の乱を経て天武・持統期の頃、唐美術が直接あるいは間接(新羅経由)に流入し美術史にいう白鳳文化が花開いたことはよく知られている通りである。

小金銅仏の世界でもこの時期、唐の影響を受けた像がみられるようになってくる。


A178観音立像はその代表的な作例のひとつであろう。

 

【178号】観音立像   (東京国立博物館:所蔵画像)



一見して前の時代の像との相違を感じる像で、ふくよかな顔立ち、写実的人体表現、やや腰をひねり片足を踏み出す自由な立姿、腰高のプロポーションなど、新しい時代の要素が充分に感じられる。


B出来の良い初唐風の像と思われるが、これを若干成熟させた感があるのが171観音立像であろうか。

構造上体部は無垢で鋳造技法的に進んだ感はないが、柔らかい姿態が印象的である。

 

【171号】観音立像   (東京国立博物館:所蔵画像)



C白鳳期も後半〜末近くになると、腰をひねり片足を遊脚にするだけでなく体の柔らかな表現や自由な動勢が顕著になってくる。

185-1185-2の菩薩立像2体や173184観音立像などは、いわゆる三屈(トリバンガ)の姿勢をとり柔軟、優雅な雰囲気を漂わせている。
因みに185-1185-2は、顔つきを含め鶴林寺の聖観音立像とそっくりで強い近似性を持つ。

     

左【185-2号】菩薩立像 (東京国立博物館:所蔵画像)    右 鶴林寺・聖観音立像




(8)その他の像


以上、グループとして括れる像を時代の流れとともにみてきたが、それ以外にも特徴的な像がいくつかあるので

 A.三尊像

 B.薬師像?

 C.宝珠捧持像

として最後に記しておきたい。



A.三尊像


@四十八体仏」中の三尊像としては、【(1)渡来系の像】として143一光三尊像を見てきたが、もう一体三尊形式の像が存在する。
144阿弥陀三尊像である。

 

【143号】一光三尊仏立像   (東京国立博物館:所蔵画像)


 

【144号】阿弥陀三尊像〜山田殿像   (東京国立博物館:所蔵画像)



中央に如来椅像、左右に蓮華座に立つ脇侍像を配するが、これが阿弥陀三尊といわれるのは左右脇侍の頭部に観音を示す化仏と勢至を示す水nがあらわされているからで、阿弥陀三尊像としては我が国最古の作例といわれているもの。

中尊の倚像形式は日本では数少なく、セン(土偏に專)仏を除けば深大寺釈迦如来像、法隆寺五重塔塔本塑像の弥勒如来像など数えるほどである。
中国では比較的多くの作例があるが、本像のように阿弥陀の倚像は珍しいのではあるまいか。

 

深大寺・釈迦如来倚像



また、この像は台座背面に「山田殿像」という銘が刻されていることでも知られており、680年代に完成したといわれる山田寺に関係した像が何らかの事情で法隆寺に移入された可能性もいわれるが、確たる根拠はない。
作風的にも飛鳥期を脱した立体感や柔らかさが感じられ、7C後半の像とみてよいのではないかと思われる。


Aもう一体、三尊像ではないが倚像形式の像として148如来倚像がある。

 

【148号】如来倚像   (東京国立博物館:所蔵画像)



一見単独像のようだが台座の框の両側にホゾ(木偏に内)穴があり、ここから両脇侍を配していたことが推測されるので当初は144と同様三尊像であったのであろう。
但し、像容は144と比べ面相や体つき、衣の表現などに一段と柔らかさ、写実性が進んだ感があり、台座や台座に掛かる衣の表現からも唐風を感じさせる。少し時代が下がった白鳳期も後半の作とみてよいか。


Bなお、【(7)初唐系の像】で取り上げた185-1185-2の二躯も各々宝冠に化仏と水nをつけており、観音、勢至のセットであることがわかるので、現在は中尊を欠くが三尊像の脇侍として造られたものであろう。



B.薬師像?


@次にやや変わった像として152如来立像をみてみたい。

 

【152号】如来立像   (東京国立博物館:所蔵画像)



衣を偏袒右肩につけながら右肩から胸前に斜めにタスキ状に帯のようなものをつける珍しい着衣形式と、右手を下げて宝珠のようなものを持つ形は、ともに如来像として他に類例を見ないもの。
宝珠を薬壺とみなして薬師如来とする説があり(松原三郎氏)、とすれば日本で最初期の薬師像という可能性もあるが、日本の初期の薬師像は法隆寺金堂薬師像や薬師寺本尊にしてもいずれも薬壺をもたないスタイルであり、どう考えればよいか難しいところ。



C.宝珠捧持(菩薩)像

@「四十八体仏」の中には(上記152を別とすれば)両手で宝珠を持つ菩薩像が3体ある。

既に触れた像が多いが

  165  観音菩薩立像
  166  菩薩立像
  167  観音菩薩立像

である。


Aこの形姿をとる日本での代表例はいうまでもなく夢殿の救世観音(*)であるが、この系譜を大陸に求めると6Cの作といわれる成都万仏寺の石彫像など中国南朝代に例がみられ、朝鮮半島ではこの影響を受けた百済に作例が多いことが知られている。

 

法隆寺夢殿・救世観音立像



(*)但し、救世観音が手に持つ宝珠は成都万仏寺の菩薩が持つ宝珠(合子)と違って火焔を伴う宝珠。火焔宝珠は西域(キジル石窟等)に例があり、光背や石窟(響堂山石窟)の紋様にもみられるが仏像が手にする例はめずらしい。源流がやや気になるところ。


B165(3)準止利様の像の中で既述した辛亥(651年)銘の観音像。

 

【165号】菩薩立像〜辛亥銘   (東京国立博物館:所蔵画像)



166は止利様式の名残りを留める一方、童子形的側面を感じさせる像。

 

【167号】観音菩薩立像   (東京国立博物館:所蔵画像)



167もやや硬直した立ち姿で古様ながら、三面頭飾、衣の襞や瓔珞等の装飾性が感じられ、両像ともに7C後半の造像かと思われる。


C宝珠は仏の霊力と衆生救済のシンボルとして観音との関係が濃厚といわれ、これらの像は7C前半(救世観音)〜後半にかけて信仰された仏像の一形態であったのであろう。


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