仏像の種類 羅漢(らかん)

図像は、『マンダラ博佛館』(西上ハルオ著 鷺書房刊)から、西上ハルオ氏の許可を得て転載したものです。
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注記無きものは、御室版高雄曼荼羅・胎蔵界(仁和寺蔵)が元図となっています。

 

羅漢(らかん)

 阿羅漢(あらかん)とよばれる悟りを開いた仏弟子たちの尊称である。中国や日本では、この仏弟子たち以外にも、高徳な仏道修業者たちを羅漢に含めている。また仏教美術の上で羅漢部と呼ぶときは、祖師や高僧、あるいは聖徳太子や在家の貴人の像まで加えている。これらの像は、聖徳太子や貴人等の像を除き、いずれも比丘(びく)形で造像されるのが普通である。彫刻の上で日本で一番古い羅漢像は、法隆寺五重塔の塑造群像(711)である。なかでも北面の像は、釈迦が涅槃に入らんとする光景で、胸を叩き、こぶしで両股を押えるなど、人間羅漢の働突(どうこく)を伝えた感動ある場景を造り出している。
 この他、各宗派の祖師、たとえば、法相宗の六祖像や無著、世親、達磨大師、聖徳太子、役行者、弘法大師、慈覚大師、日蓮上人らの高僧や貴人らも羅漢に含まれる。これらの像は、僧形のものが多いが、聖徳太子像や役行者像は、それぞれ特異な姿に表される。

 

 維摩居士(ゆいまこじ)

 維摩居士は在家の仏教信者ではあったが、その明晰な頭脳には仏弟子たちも及ばなかっだといわれている。維摩の信仰は、斉明天皇二年(656)に藤原鎌足が病床に臥したため維摩経を読経したところたちまちに平癒したということから、以後「維摩会(ゆいまえ)」が営まれるようになり盛んとなった。法隆寺五重塔の塑造群像の東面は仏伝に名高い維摩居士(ゆいまこじ)と文殊菩薩の問答の様子を現したもので、この維摩居士としては最も古い像である。奈良法華寺乾漆像(奈良時代)、滋賀延暦寺、石山寺像(各平安時代前期)、滋賀青竜寺像(平安時代後期)、奈良興福寺像(定慶作、1196)など傑作が多い。

 

 十大弟子

 釈迦に随侍した十人の高弟を釈迦十大弟子とよんでいる。いずれも智徳第一の弟子たちである。遺品としては、奈良興福寺脱乾漆像(六躯現存、奈良時代)のほか、京都清凉寺像(平安時代後期)、京都大報恩寺像(1200)、神奈川極楽寺像(1268)、称名寺像(鎌倉時代)などが残されている。いずれも一人一人の個性を巧みに表したすぐれた彫刻である。
  
阿難             須菩提

 

 十六羅漢

 十六羅漢は釈迦より、永くこの世にあって正法護持、衆生救済を命じられた十六人の羅漢である。わが国では室町時代以降、特に禅宗とともに信仰が盛んとなった。多くは山門の楼上などにまつられている。また迦葉かしょう、軍徒鉢歎(ぐんずばたん)尊者を加えて十八羅漢とも呼んでいる。これらの像は絵画に多いが、彫刻としては、京都万福寺像(花范生作、江戸時代)が名高い。

 

 五百羅漢

 五百羅漢は第一回の仏典結集(けつじゅう)に集まった五百人の羅漢である。遺品としては、松雲元慶の造像した東京羅漢寺像(1691〜5)が知られているほか、江戸期の石仏に多くみられる。十六羅漢の中で賓頭盧(びんずる)尊者は単独で信仰されている。真言宗寺院などでは本堂廊下や、縁先などに安置され、病気平癒の仏として民間の信仰を集めている。

 

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